文鳥社とカラスの社長のノート

株式会社文鳥社/ 株式会社カラス のバードグループ代表をやっています。文鳥文庫を売ったりもしています。

その昔『万雷舎』という寺子屋就活塾がありまして

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その昔、神保町の路地裏に、
怪しげで小さな寺子屋就活塾がありました。

その名は『万雷舎』。
70歳を超える塾長がひとりで運営していた就活塾です。

「自分の人生のラストランは、若い人たちのために使いたい」
塾長はいつもそうおっしゃっていました。

広告を出すこともなければ、率先して人を増やそうとする気配もない。
明確なカリキュラムもなければ、テキストすらないのです。

でも塾長の魅力に引きつけられた学生たちが
どこからともなく集まってきました。

僕も就活の時期に、塾長に多くの言葉をもらいました。

 



「粗にして野にして卑にあらず。」

粗野であることはかまわない。
卑しいことがとにかくダメだと、
いつも教えてくれました。

 

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「友は悲しみを半ばにし、喜びを倍にする。」

最も大切なものの存在に改めて気づかせてくれました。
社会に出て、そういう友をつくりたいという思いを強く持ちました。

塾長の言葉はいつも圧倒的に重く、強く、優しい。
そんな言葉たちをひとつにまとめた冊子を創りました。
それが「万雷のことば」です。非売品です。

今もう万雷舎はありません。
でもそこで生まれた言葉たちは生き続けていくのです!!!! ̄O ̄)ノ

塾長と出会えたことで、僕の人生は大きく変わりました。
そういう出会いがいくつかあれば、人生は決して悪くないと思える3時です。それではおやすみない..zzZZZ

村上春樹ギライの人にもおすすめこの5冊!

なんだかHATENA界隈でも村上春樹の話題がいろいろ出ています。

村上春樹の「好き」「嫌い」はどこで分かれるのか? に関する一考察

村上春樹の「孤独」と西村賢太の「孤独」

 

村上春樹信者を公言している僕としては乗っからないわけにはいきません。 

村上春樹は基本的にファンタジーです。「夢」であり「幻想」を描く作家です。本人も「夢を見るために僕は毎朝目覚めるのです」といってるくらいです。リアルだと思うと、気持ちわるくもなります。

 

そして、村上春樹が描く鬱や孤独や苦しみは「中流階級鬱」です。一定の社会的地位があり、生活や仕事に困ることは無く、コミュニケーション能力を持ち、誰とでも話そうと思えば話せるくらいの中流階級の人が抱える「鬱」です。そもそも「恵まれた人」の悩みなのです。憤慨する人がいるのも無理はありません。

 

さて隠してもしょうがないのではっきり書くと、僕は俗にいうハルキストと呼ばれる人種です。かなり好きです。村上春樹の長編小説はすべて三回は読んでいるし(田崎は二回だけど)、好きな短編は何十回と読んでいるほどであります。

 

「村上春樹好きって、流行りとか、ファッションとして読んでるんでしょ?」

みたいなことをたまに言われますが、それは断固違います。面白いから読むのです。そもそもファッションだとしたら「20年間も世界で売れ続ける」わけがありません。

 

逆に僕からすればそう言う人は、「食わず嫌い」か、「食べた場所が悪かった」か、もしくは『みんなが好きなものは嫌い病』のどれかではないかと疑ってしまうわけです。

 

なので、無理矢理すすめるやつもどうかと思いますが、ここは「この作品だけは読んでほしい!」と思う5冊をおっせかいとしてご紹介。

 

 1位:「蜂蜜パイ」

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

 

いきなり一位の発表ですがこの「神の子どもたちはみな踊る」という短編集の最後にでてくる「蜂蜜パイ」は本当に素晴らしい作品です。20分くらいで読めます。文章の美しさ、ストーリーの緻密さ、言葉のリズムどれをとっても一級品。「春樹は短編がいい」という人がいますが、僕もそう思います。人に勧めるなら短編がいい。この本にある「かえるくん、東京を救う」も世界的に愛される名作です。

 

2位:世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

長編小説で言えば、やはりこれを読んでほしい。村上春樹が「物語を創る人」であることがよくわかります。テーマはそれほど新しくありません。心と、愛と、音楽の話です。「心を無くした平穏な世界で暮らす」僕と、「情報を暗号化する計算士として働く」私の物語が交互につづきます。その交わり方は鮮やか。春樹の小説のなかでもっとも「物語」らしい作品だと思います。

 

3位:サラダ好きのライオン 

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

 

 「村上春樹なんて、すかしたキザな親父だろう」と思っているそこにあなたに読んでほしい1冊。ananの連載をまとめたものです。ほんとにそこらへんにいる普通の親父なのだということがこの本を読むとわかります。「そんなに嫌うこともないかな」と思うかもしれません。

 

4位:本当の戦争の話をしよう 

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

 

 訳書ならこれはぜひ読んでほしい。たんたんと訳している感じなのですが、村上春樹がいかに文章を音楽的リズムでとらえながら書いているかがよくわかります。村上春樹の「音」にハマると、他の小説家の本は中々読めなくなってしまいます。内容も面白いので、ぜひ一度。

 

 5位:雑文集

村上春樹 雑文集

村上春樹 雑文集

 

 これは最後に。村上春樹がいろいろなところでおこなってきた講演や寄稿や挨拶を一冊にまとめた本。これを読むと、村上がどれだけ「人の魂を救う物語の大切さ」を信じて小説を書いているのだとわかります。おそらく村上春樹自身も、物語に救われてきたんだろうなと。

 

あえて長編、短編、エッセー、訳、スピーチ等と幅を持たせてみました。

好き嫌いはもちろんあります。それはそれでもちろんいいのです。

でも、昔のAppleの広告で誰かが言ったように

「彼を無視することは誰にもできない」わけです。

だって今、「個人の力」で世界に影響力を持つ数少ない日本人ですから。

以上です。

 

 

「1.01の法則」のウソ ~ If it’s not fun, why do it? ~

少し前に「1.01の法則」というのが流行りました。そうですこれです。

 

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どこかの学校に貼ってあったとかで、誰が最初に考えたのかは知りません。

みんな共感して、シェアしていました。僕もそのときは、なるほどと思ったものです。

 

しかしちょっと冷静に考えてみれば、なんと残酷な教えでしょうか。

 

「がんばれ!」「努力しろ!」「さぼるな!」 

そんな「人の人生を破壊するやっかいな根性論」を数値化したにすぎません。

まるでたったの0.01 を頑張れない人間はゴミ人生を送るしかないようです。

 

因にこれを50年にいったいどうなるのでしょう。計算してみた。

1.01の人は、7.3294525e+78 (0が78個)

0.09の人は、2.1993857e-80 (.0が80個)

となります。本当にそうでしょうか?断固言いたい、答えはノーだと。

 

これはただの数字です。人間の成長はそんな単純な方程式では紐解けない。

 

逆のことを言うようだけど、努力することはもちろんいいことです。

努力なくして成長はない。これはきっとウソじゃない思います。

ただ教育の順序として間違えてると思う。「環境」という要素を無視しているし、何を「こつこつ頑張る」のかという話が抜け落ちている。

 

「やりたくないこと」を"1.01"ぶん毎日頑張れる人はたぶんいないと思います。

「やりたいと思えること」だったら放っておいても ひとは"1.01"ぶん頑張れる。

 

楽しいことなら、頑張れる。だから成長できる。

人間というのはそういう生き物です。それは太陽は東からのぼるのと同じくらい自然の摂理だと思います。

 

だからまず教えるべきことは、こんな理屈ではありません。

こういうべきだと思うのです。

 

”If it’s not fun, why do it?” 

楽しくなければやる意味ないよ

 

 

これは最近見つけた大好きな言葉。(日本に進出したアイスクリーム屋さんの「BEN&JERRY’S」のインタビューより)あの「選挙いったらアイス無料」をやってたところです。

 

 今すぐこれをすべての学校の壁に張り、すべての企業の理念にし、すべての家のカクンとして採用してほしいと思う。 「楽しいことをやる」それが「1.01の法則」を実現する前提です。 

 

なぜだか分からないけどこの世界では嫌なことでも苦しみながら努力することが美徳だと考える人がいる。むしろ嫌なことをやったほうが人は成長すると考えているようにすら見える。

 

こういう人種は「楽しむこと」と「楽すること」をごっちゃにしているんだと思います。(大昔にこの漢字を同一にした誰かが戦犯かもしれない) 

 人は楽しみながら、悩み苦しみ成長する生き物です。

 

ジョブズはこう言いました。

私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、

自分のやっている仕事が好きだという気持ちがあったからだ

稲盛和夫も言いました。

想像を絶するような苦労でも好きでやっているなら、

本人は苦労とも思わず、記憶にすら残っていない。

宇宙兄弟でビンセントが言いました。

人生は短いんだ。テンションの上がらねえことにパワー使ってる場合じゃねえ。

 

まぁ本当の問題は「楽しいことを見つけられない」というところにあるのかもしれないけど、その話はまた今度考えてみたいと思います<(_ _)>

 

なにはともあれ、楽しくないことを毎日「こつこつ努力」しているのならやめましょう。そんなことで人は成長できないしむしろ大切な何かと引き換えに人生をすり減らしていくだけです。

 

そういうときは何度でもこの言葉を想いだしましょう。

そして声にだして空と海と風に向かって聞いてみましょう。

 

”If it’s not fun, why do it?” 

 

 

 

 

 

「さいごは人柄」~ビジネスに必要なことは(友人の)父から教わった~

最近、ちょっと気になるサイトがありまして

カクン.com というやつです。

 

みんなの家にあったカクンを共有しあおう、ということなのですが、

確かに他人の家のローカルルールって面白いものですね。

「漢字の勉強は、ジャンプでじゅうぶん。」

僕はこれ好きでした。なんていいお母さんだと思います。

 

僕の家のカクンは、あまり思い出せません。

でもいつも隣で夜な夜な仕事をしているデザイナーのケンタンと話していたときのこと。

 

「ケンタンの実家のカクンってあるの?」

「あるよ」

「どんな?」

「さいごは人柄。」

 

クールに言い放つケンタンに、僕は言葉を失いました。

 

「さいごは人柄。」 

なんていいカクンなんだろう。言葉にしてたった8文字。

これほど的確端的な教訓も他になかなかお目にかかれない。

ふだんあまり話さないお父さんが、お酒を飲んだ席で語ったらしいが、

なんと鋭く深くかっこいいのだお父さん。

 

そんなわけで、仕事も、友人も、結局のところ

「さいごは人柄」なのだと近頃よく思う。

 

社会人生活のなかできっといろんな人と仕事をする。

仕事が出来る人がいれば、出来ない人もいる。知識がある人間がいれば、発想が優れた人間もいる。キッチリかっちり仕事をするタイプもいれば、大雑把なんだけど大きな絵を描ける人もいる。デザイナーもいれば起業家もいれば上司もいれば部下もいればフリーの建築家もいれば会計士もいれば同期もいる。どんな道にいても、尊敬できる人はいる。すぐれた人と一緒に仕事をするのは実に楽しい。

 

だけど、どんな人と仕事をしたいか?と聞かれれば

「いいひとで、品のあるひと」と僕なら答える。 

もう少し具体的に書いてみると(ちょっと偉そうになりますが)

 

お金の流れに関係なく、相手へのリスペクトがあるひと。

年齢や職歴に関係なく、相手の意見に耳を傾けられるひと。

余計な見栄をはらず、偉そうにしないひと。

自分がどれくらいの場所にいるか把握しているひと。

謙虚であり、自分の仕事に誇りを持っているひと。

 

思いつくまま正直に書いてみたけど、文字にしてみても、

出来る人だとか、役職だとか、肩書きだとかそんなことは心底どうでもよくて、

こういうことが遥かに大事だと僕は思っている。

 

そしてこのリストをもっとも短くキャッチにしたら、

さいごは人柄」になると思ったわけです。

このたった8文字の呪文さえ忘れなければ、きっと人生はうまくいく。(と僕は思っています。)

 

もちろん自分はこんな高いハードルはクリアできていません。

そうありたいと思うばかりです。

 

さて、カクンの話からずいぶん遠くまで来てしまいました。

書いているうちに我が家のカクンをひとつ思い出しました。

 

「何かひとつ頑張ればそれでいい」

意訳だけど、そんなこと言ってくれていたことを覚えています。

それで、僕はバスケばっかりやってたけど、

そのおかげでいろんなこと出来るようになった気がします。感謝。

 

さて、みなさんもカクンを思い出してみてはいかがでしょう?

きっと今の自分にも何かいいことがあるはず…です。では。

オダジマ先生に学ぶ、文章を書くために必要な8つの要素。

小田嶋隆のコラム道

小田嶋隆のコラム道

 

 僕はオダジマ先生の文章が好きです。

どのあたりが好きかと言えば、いろいろあるのだけど、一つあげるとしたら「素直なところ」かと。

執筆の前に結論を出すのではなく、書き始めてからその文章の流れに、ある意味では、身を任せながら、思考をたどり、整理し、新しい発見をしていく。その道筋をありのまま描写していくところが、読んでいてとても心地がいい。

 

「コラムは道であり、到達点ではない」

「海図通りに進む航海は、冒険としては失敗だ」

 

そう、文章を書くことは、思考の旅なのだ。

文章とは書きながら、自分の思考を遠くまで飛ばすツールなのだ(もちろん一つの役割だけど)。オダジマさんの文章が面白いのは、その旅の道筋がよく見えるのと、その旅が行き当たりばったりな感じがするからだ。(行き先の解る旅など面白くない)

 

オダジマさんは、日本で数少ない「コラムニスト」として仕事をされている方です。でも意外に知らない人が多い。コピーライターの仲間でも知らない人が多い。それはそれはもったいないことだと思うのです。(日経ビジネスで今はコラムを書いてるのでそちらもぜひ)

 

というわけで、タイトルを「オダジマ先生に学ぶ、文章を書くために必要な8つの要素」と書いたからには、オダジマ先生の本数冊から、8つの要素にまとめることにします。

 

1. 「一に根気、二に根気、三に根気で…」 

もちろん語彙は多いほうが良いし、イマジネーションだって豊かであるに超したことはない。言語能力もあったほうが良い。でも、それらは決定的な要素ではない。まっとうな文章(←良い文章、面白い文章とは言っていない)を書くための条件は、あくまでも、根気。そう皆さんの大嫌いな言葉だ。

そう、文章を書くとはとても地味な作業だ。料理人は作っている風景も絵にはなるし、画家が絵を書く姿も絵になるが、文章を書く姿は絵にならない。

夜な夜なデニーズで一人PCに向かい、向かい側のテーブルUNOを始めた男女のことを気にしながらも、石橋を叩くようにキーボードを叩き、レンガを一つずつ積み重ねるように論理を積み重ねるような作業だ(隣のグループの目にはどれだけ暗い奴だと映っていることか)。

そして出来上がった結果、この文章が誰の目にも触れない可能性だってある。忍耐であり、孤独な作業だ。そしてはてなでは叩かれる。実に地味な作業だ。村上春樹はそれを「親切心」とも読んでいたと思う。

 

因に、オダジマさんはひとつ間違えている気もする。「必要なのは根気だ!」と言われて喜ぶ人は多いはずだ。だって、「それなら自分にもできる」と思えるから。「必要なのは才能だ!」と言われるよりずっといい。

 

2. 書き手の個性と読み手の普遍性を持て

良い文章は、95%の普遍性に5%の個性を付加したぐらいのバランスの上に成立している。

 ものを書くにはある程度の個性が必要なのは当然である。独自の視点、ユニークな文章の書き方、その文章を読んで「その人」であることが解る個性が必要になる。でも時に「個性」はただの押し付けになる。

 

良い文章を書くためには「書き手としての個性」と同人「読み手としての普遍性」が必要になる。普遍性、あるいは凡庸さとも言えるし、すべての読み手の「最大公約数」とも言える。そうでなければ、多くの人に読んでもらえることは難しい。いやいや、俺は個性100%で書きたいんだという方は、誰にも読まれない覚悟で書くしかない。

 

3.書き出しに悩むな

 書き出しに悩む人は多い。というか、誰だってある程度は悩む。でも文章を書く行為が「旅」である以上、スタートはそれほど重要ではない。書きながら、方向を定め、目的地を探っていけばいい。書き出さなければ、船は永遠に出航することはない。

旅のきかっけなんか何だって良い。全体の構成だって気にしなくて良い。航路が決まっている旅など面白くないのだから。

 

4.結語にはこだわれ

書き出しと違って、終わりはとても重要だ。多くの人は本文の「要約」をする。しかしこれは無難だ。勝負していない。特にコラムやブログのような自分の個性を出すべき文章では。たとえ最後に滑ってもいい。そこはチャレンジすることが大事なのだ。

 

天声人語のような終わり方もよくない。「笑顔。高度成長期とうひとつの時代を生きた男の笑顔だった」「今日は健康記念日。晴れの特異日だという」「この空はアリゾナまで続いている。そう思いたい」……季節や、余韻を残すこういう一行は(特に年配の女性読者には)有効だ。でも、イヤミでキザだ

(多分に好みの話でもある)

 

最後の一行はチャレンジして独自の技巧を磨くべし。

 

5.書き続けろ

書き続けることは大切だ。それは訓練の意味もあるがもっと大切な意味がある。モチベーションを保つことだ。文章は書くことで、次の文章が生まれてくる。1ヶ月書かなければ文章を書く材料がたまるわけではない。文章は書いていると「あ、次はこのテーマについて買いてみよう」というような次の文章が生まれてくる。何よりペースとういものが大切だ。一度書きそびれると、またPCに向かうことは難しい。一日一稿と決めておけば、なんだかんだ書けるというものだ。

 

6. Google先生に頼るな

解らないことがあると、Wikipedia教授とGoogle先生にたよりがちだ。でもそうしていくと、文章から独自性は消えていく。文章とは「自分の中からひねり出す」ものなのだ。間違っていそうなときは、断りをいれておく。「これは記憶が確かではないのだが…」とか。幼少の頃のこと、最近であった見識、なんでもいい。「文章を書くとは、自分の内面と会話することに他ならない」って確か誰かが言っていた気がする。

 

7. 斜め上から見ろ

あるニュースを見る。テレビはこういっていた。でも実はこれには裏の構造がある(ということに自分が気づく)。そこで初めて、文章になり、コラムになる。誰もが見ていることを買いてもしょうがない。裏を見る眼、斜め上から見る眼。

かといって、裏ばかりみろ、というわけではない。複数の視点で物事を見る眼が必要なのだ。反論まで含めて書かなければ深みのある文章にならない。

 

8. 行き先は決めるな

これはすでに何度か書いた通り。文章を書くとは旅であり、航海である。人はもともと原稿用紙を4枚分の思考をすることなどできない。けれど文章を書くことで、その思考を広げ、深め、遠くまで飛ばすことが出来る。それが文章のいいところだ。

 

結論が解っているような文章など、きっとまだ浅瀬で遊んでいるにすぎない。一語一語を書かきながら、人は今までに見たことの無い景色を見に行くことができる。それが文章の書き手の楽しみであり、その航路を読者にも楽しんでもらう。それが文章というもののすばらしさだ。 

 

と、ここまで書いて、9つ目が必要なことに今気づいたので書くことにします。

9. 叩かれることを恐れるな

文章を書く上で、用心深さは必要だ。 根気と親切心も必要だ。個性も普遍性も必要だ。

でも何かを主張するからには、反論は覚悟しなくてはいけない。できるだけ誰かを傷つけないように書いても傷つけてしまうこともある。それは辛い。そして叩かれると痛い。しかしそれを恐れていては、鋭い文章など書けるわけもない。オダジマさんの言う「地雷を踏む勇気」というやつだ。空気を読まずに、意見を書くのだ。

 

 

内容に関してはかなりの意訳+勝手な見解が混ざっているので、もしもオダジマ先生が見たら「こんなこと書いてない!勝手なことを!」と怒りだすかもしれない。だからはっきりここでひとつ明言しておく必要がある「この文章は、オダジマ先生の見解とは無関係である」と。(あからさまな予防線だ)

というわけでオダジマ先生の文章術が読みたい方は、オダジマ先生の本を買ってぜひとも読んでください。好き嫌いはあるだろうけど、文章を読む人にとって絶対に得るものがあると思う。

 

場末の文体論

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小田嶋隆のコラム道

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地雷を踏む勇気 ?人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

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それでは最後に、文章を書くすべてのみなさんへ一言。

よい旅を。