「アリとキリギリス」のほんとうの教訓。
みなさんもご存知であろう「アリとキリギリス」。
この話、もともとは「アリとセミ」だったとか。イギリスには蝉がいないのでキリギリスに置き換えられたらしいです(東欧ではコオロギになっている例が多いらしい)。
だけどもとが「セミ」だというのは納得です。なんせ「夏の間は歌ってばかりいる」と言えば、日本でもやっぱりセミですから。
この話の前半部分はきっとみんな同じだと思います。
1. セミは夏の間歌って遊んでいる。
2. アリはせっせと働いている。
3. 冬になり、セミは食料がなくなる。
4. セミはありに「食べるものをください」と言いに行く……
ここまでのストーリーはこれできっと異論はないはずです。
しかし結末はいろいろあるようです。
「冬になって、穀物が雨に濡れたのでアリが乾かしていますと、おなかの空(す)いたセミが来て、食べ物をもらいたいと言いました。『あなたは、なぜ夏の間食べ物を集めておかなかったんです?』『暇がなかったんです。歌ばかり歌っていましたから』と、セミは言いました。すると、アリは笑って言いました。『夏の間歌ったなら、冬の間踊りなさい』
(河野与一訳『イソップのお話』岩波少年文庫)
アリもずいぶんとカッコいい台詞をはきます。『冬の間踊りなさい』なんて、ユーモアというのかアイロニーというのか、いずれせよ風情があります。ぜひ参考にさせてほしい鋭さがあります。
教訓を求めるとしたら「みんな、怠けてないできちんと働こう」なんてところでしょうか。
しかし、日本に普及している多くの物語は、これとは違う結末が待っています。
「さあ、遠慮なく食べてください。元気になって、ことしの夏も楽しい歌を聞かせてもらいたいね・・・・キリギリスは、うれし涙をポロポロこぼしました。」
波多野勤子監修・『イソップ物語』 小学館
めでたしめでたし。困っている人を助け合って最後はみんな幸せに暮らしましたとさ。あぁなんていい話だ。個人的な好き嫌いで恐縮ですが、僕はこの結末が嫌いです。
きっと「こんな残酷な話、子どもには聞かせられません!」とかなんとか言うヒステリックな偽善者が作り替えたに違いない。教訓は「困ってる人を助けてあげる優しい人になりましょう」でしょうか。虫唾が全速力で駆け巡ります。(すみません、これはただの偏見です)
さて、もう一つ。僕が知っている中で最も好きな結末は、また別のところにあります。
アリに断られ、セミは餓死するわけですが、実は、最後にもう一文だけ台詞がつくというものです。
すると、アリは笑って言いました。
『夏の間歌ったなら、冬の間踊りなさい』
すると、セミはこう答えました。
『歌うべき歌は、歌いつくした。私の亡骸を食べて、生きのびればいい。』
この台詞が物語を転換させます。アリ「ただ生きるために働きつづける」アリとなり、セミは「自分のやりたいことをやりつくしたのだから悔いもなくかっこよく生きた」セミになる。
最後に意地をはっただけかもしれない。ただの負け惜しみともとれる。でも僕はセミを馬鹿にはできない。どちらかと言えば敬意を抱く。
みなさんは、どの結末が好きですか?
そこでそろそろ、この記事の結末に…
この「アリとキリギリス」の物語は、この3パターンの結末があって、初めて完成する寓話なんじゃないかと思ったわけです。
つまり本当の教訓はざっくり言えば「生き方に正解なんてあるわけがない」ということなんじゃないかと。(ざっくりすぎるな)
どれか一話だけを知っていたとして、それを鵜呑みにしたら、あぁなんて怖いことでしょうか。あらゆる教育の恐ろしさはここにある気がします。つまり、一つの思想を誰かに押し付ける恐ろしさであり、それだけしか知り得ない恐ろしさです。
Aという生き方もある。Bという生き方もある。Cという生き方もある。できるだけ多くの生き方や考え方を知った上で、「AもBも解るけど、僕はCの生き方をしたい」と決めるべきなんです。それが想像力というものなのです。
こう書くと「なに当たり前のこと言ってるんだ」と思う人もいるかもしれない。でも「いろんな考え方を想像して自分の考えを決める」ということを実践するのはとても難しいし、理解することも難しい。僕はできている自信がないし、あなたもきっとできていない。
この「アリとキリギリス」の3つの結末はそれを解りやすく伝えてくれます。そこがいいところです。だからぜひ子どもたちに読み聞かせるときは、三つとも伝えてあげてほしいと思うのです。教育に本当に大切なのは、躾でもなく、知識でもなく、学歴でもなく、想像力なのだから。
P.S
三つめの「歌い尽くした」ってセミが言う結末ですが、これのソースが見つかりません。昔「天声人語」で見た気がしたのだけど。物語なんて、誰かが一行を足すだけで、簡単に転換するものなんですよね。だけど、それはもしかしたら、僕たちの人生も同じことなのかもしれません…(タモリ風)