文鳥社とカラスの社長のノート

株式会社文鳥社/ 株式会社カラス のバードグループ代表をやっています。文鳥文庫を売ったりもしています。

さて、今年も就活生に偉そうなことをいくつか。

久々にいい感じに酔っぱらったダメな大人として就活生にいくつか偉そうに言いたいと思う。

最近、会社の近くで就活生をよく見かける。(不思議なもので、就活生からは「就活生だオーラ」が溢れ出ているからそれを見ればわかる)会社のラウンジでもよく見かける。たいてい社員がなんだか偉そうに話し、就活生が必死にメモをとっている(仕草をする)ことで、社員が満足して帰っていき、就活生は心躍らせ帰っていく。

ここでひとつ。

「社会人の言うことは1割」

社会人の言うことは、なんだかスゴそうに聞こえる。見たことも聞いたこともない、すごい話をしている気がする。俺もそうだった。最初の方は先輩に話を聞くだけでドキドキしたし「この会社にいきたい!」とその度に思ったものだ。それはモチベーション維持にはよかったけど、恐いことでもある。

OB訪問を受けて、悪い気がする社会人はあまりいない。「自分はスゴいだろう」という自慢話をしたくもなる。社会人にとってOB訪問は数少ない社会での活躍の場なのだ。

でも残念な事実だが、実際はそんなにスゴくない。10倍は話を盛ってると換算して、「1割」として聞いておこう。俺もよくOB訪問を受ける度に反省する。「なんで俺スゴそうに偉そうに話してんだろう」と。でも仕方ないのだ。そういう場なのだ。

 

だからどうか気をつけてもらいたいものです。「どうせこいつらもただの社畜じゃないか」と思いながらOB訪問も面接も望んでほしい。極論かもしれないけど、今の就活ではあまりに社会人が偉そうだからあえて言う。しかしながらどんな人からも学べると考えるというのなら「1割くらいは何かあるだろう」と考えてください。

 

話変わってもうひとつ。

「一緒に働きたいやつが採用される」

「出来るアピール」をしてくる人がいる。こいつはまずい。新人の採用面接でこれはいけない。「どんな人が通るのか?」という質問に対する正解は「一緒に働きたいやつ」でしかない。偉そうにふんぞり返ってる面接官の思考は極めて単純「こいつが自分の部下になったらどうなるか」ということだ。

面接とは「同僚選び」なわけだかから、「恋人選び」「友だち選び」と何ら変わりない。人間が選ぶ。人間を選ぶ。だとしたらほぼフィーリングでしかない。理屈じゃない。

これはサイバーの藤田さんも言ってるから間違いない。「採用は、もの凄く優秀な人を大勢集めるよりも、一緒に働きたい人を大勢集めることのほうが大事であると再認識しました。」

さすが俺を二次面接で落としただけあって解っていらっしゃる。

「でもじゃあどうすればいいの?」という質問は難しいのだけどコミカド先生のひとことを借りて、つぎのひとつ。

 

「自分で探せ!!!」

リーガルハイ第一話で、ガッキーこと黛さんの「だったら、私たちは何を信じればいいんですか?」という質問に対し、堺雅人こと古美門研介はこう答える「自分で探せ!!!!」と。何度見てもすばらしいドラマです。

いろいろ大変なこともあるけれど、就活のすばらしいところは「人生について考える機会と時間を社会がくれている」というところにある(と思う)。そのせいで学業に身が入らないと大学が嘆くかもしれないが、自分の人生をどうしたいかを考える前の学業など何の意味も無い。とにかく就活の意味を好意的にとらえれば「自分の人生を考える」ことにある。

不思議なことに、言葉には重さがある。考えた量は、言葉にのる。その重さこそが、面接の合否をわける。「どんな人が受かるんですか?」「どこの企業がいいですか」「ベンチャーはどうですか」答えは自分で考えるしかない。その考える小さな欠片は誰かがくれるかもしれない。

結局のところ就活で求められる能力とは、自分の人生と社会のつながりについて深く考えて考えて落ち込んだりへこんだりハイになったりしながら考えて、たまに書き出して、また考えて自分なりの答えを見つけてその答えと自分に自信を持つこと。それが出来ればちゃんと選んだ企業に受かる。だけど、

「落ちても気にするな」

面接には落ちることがある。どれほど自分が行きたい企業でも。お世話になった大事な先輩がいる会社でも。自分にここしかない会社だと思ったとしても。

それは「運」という極めてやっかいな気まぐれ者がいるからだ。たまたま面接官とあわなかったかもしれない。たまたま同じキャラの人間が先に受かってたのかもしれない。たまたまESが机から落ちたのかもしれない。たまたまネクタイの色が気に入らなかったかもしれない。それくらいのことで、面接は落ちるし、人生は左右する。でもそれはただの運なのだ。

面接に落ちると凹む。人間が否定されたかのような気がする。実際その場では否定されるわけだからつらい。気にするな、というのが無理だ。でも、落ち込んでも解決にはならない。可能性ならいくらでも残っている。

いい企業などこの世界に腐るほどある。いい仕事はもっとたくさんある。無ければ考えて生み出せば良い。やりたいことがあれば、どこだって変わらない。結局のところ、大切なのものは、どこかの会社ではなく、自分の中にあるものだから。

「社会は楽しい」

そろそろ眠いので最後にします。そこで最後ひとつ言うとしたら、社会は楽しい。これだけは間違いない。

仕事は、社会は、フィールドが無限にあるスポーツみたいなもの。何やったっていい。たぶんルールはひとつ「誰かが喜ぶことをして利益を生む」それが仕事というもの。やりたいことをやればいい。やりたくなきゃ、やらなきゃいい。自由も、責任も自分にある。こんなエキサイティングなフィールドは他にない。うまい珈琲を飲みながら仕事をするのは幸せだし、仲間とやった仕事がうまくいった後のお酒は最高だ。俺は就活のとき考えもしなかったコピーライターなんて仕事をやっている。そういうのも楽しい。

社会が楽しいのだから、その入り口の就活だってもちろん楽しい。いろんな人に会い、いろんな仕事を知り、いろんな可能性を想像してほしい。とにかく楽しむこと。楽しんだやつは何より強い。楽しい世界と未来を想像する力こそ、人が前に進む上で最も必要な才能なのだから。

 

この話も1割です。

おれも頑張ります。

以上です。 

 

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