文鳥社とカラスの社長のノート

株式会社文鳥社/ 株式会社カラス のバードグループ代表をやっています。文鳥文庫を売ったりもしています。

それでも本を読んだ方がいい理由。

 

新潮文庫の100冊を筆頭に、今年の夏も恒例『文庫祭り』が始まりました。今年の新潮文庫のサイトはこんな感じです。

 

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さて、本を読むことの意義に関しては、昔からずっと議論されています。

本を読むには時間がかかる。これだけSNS(主にTwitter、Facebook)で小さい単位の情報に触れている人にとって、一冊の本は長過ぎる。それでも、本を読むことに意味はありますか?と思っても仕方ない。

 

僕は本が好きだし、できるだけ多くの人に読んでもらいたいと思う。そして、それでも本をよんだほうがいいと思う理由が、僕にはひとつあります。一言でいってしまえば、物語は人を救うからです。

 

とても個人的な話ですが、僕は大学時代、高田馬場の駅前で酔っぱらってみんなで校歌を熱唱しているような早稲田大学のノリにうまく馴染めず、4年間のほとんどを独りで過していました。自分が何のために生きているのかさっぱり分かりませんでした。頭を抱えて絶望することもありました。控えめに言って、コミュニケーションもうまくとれない、情緒不安定なダメ大学生です。

 

そこで僕は、本を読みました。生協に平積みされている本を順番に。面白い本もあれば、そうでない本もあったけど、いろいろ手に取りページをめくりました。それはギリギリ自分をつなぎとめるための作業でした。間違いなく、その時の僕は本に救われた。後になって解ったことだけど、それは「物語の効用」でした。

 

物語にはいろいろ効用があります。例えばこちら。 

本はやっぱり読むべき!? 読書は心身の健康にいいことが判明 「大脳が活性化」「アルツハイマー病の予防」「孤独を感じにくくなる」など | ロケットニュース24 

「物語を通じて他者の感情を体験することにより、相手の感情を推し量ることができるようになりコミュニケーション力がアップする」

ここにいろいろ書いてありますが、おそらく読書は、一番簡単な「メンタルコントロール」のためのツールです。さらに言えば、読書は「メタ認知」能力を養う働きをもっているのだと思います(大学時代の僕はこんな言葉を知らなかったわけですが)「メタ認知」という言葉がしっくりくる気がします。 

メタ認知メタにんち)とは認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること。それをおこなう能力をメタ認知能力という。

by Wikipedia

 

言い換えれば「自分の感情をコントロールする」力であり、「自分と他人を、切り離して考える」力だと思います(これは個人的な解釈です)。

 

この能力、いまの社会をうまく生きるうえで、とてつもなく大切な力だと思います。これができない多くの人が精神を病んでしまうことになる。「他人との違い」を気にしてしまったり、「他人が自分をどう思うか」に左右されたりする。つまり上司の発言にいちいち振り回されたり、恋人との関係に悩みすぎたりしてしまう。他者に感情をコントロールされると、生きるのは大変です。なぜなら人は、根本的に自分のことしか考えていない生きものだから。他人と完全に同調することなど未来永劫ありません。でも「自分と他人を分けて考える」ことは案外むずかしいことです。

 

ノルウェイの森で永沢さんが主人公に言う言葉。

 

「ワタナベも俺と同じように本質的には自分のことにしか興味が持てない人間なんだよ。自分が何を考え、何を感じ、どう行動するか。だから自分と他人とを切り離してものを考えることができる」

「俺とワタナベの似ているところはね、自分のことを他人に理解してほしいと思っていないところなんだ。他のやつらはみんな自分のことを周りの人間にわかってほしいと思ってあくせくしてる。でも俺とワタナベはそうじゃない。理解してもらわなくたってかまわないと思っているのさ。自分は自分で、他人は他人だって」

    ノルウェイの森

かなり嫌な口調で言っていますが、実はとてもいいことを言ってます。

 

「メタ認知」はいわば、自分の感情世界の外側に、もう一つの世界を作り上げるようなことです。そのことにより、自分の感情を客観的にとらえ、感情をコントロールすることができます。本を読むことを繰り返せば、間違いなく「メタ認知」能力を養うことができます。孤独となって他者の感情と向き合うことを通して、自分の感情を知ることができるからです。

 

そこでやはりおすすめしたくなるのが、村上春樹の小説です。 なぜなら村上春樹は、かなりあからさまに「物語の世界と、現実の世界の往復」ということを念頭において小説を書いている人だからです。つまり「救済のための物語」を書くひとだからです。

 

例えば、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は、二つの物語が並列して進んでいきます。しかも僕」と「私」と「俺」という、人物が登場します。つまり、同一人物を三つの人格から描いていくわけです。

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

 

実際、悪い宗教にはまって抜け出せなくなった人が、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を何度も読んで、そこから抜け出すことができたと、村上春樹に感謝の手紙を送ったというエピソードもあります。村上春樹は良い物語の効用を「白魔法」と呼び、悪い宗教のような悪いフィクションを「黒魔法」と呼んでいます。

 

 

本は、別の世界を知るためのツールです。簡単に、別の世界を覗くことができるのです。ページを開けば、どこへでもいけます。「どこでもドア」であり「タイムマシーン」であり、他者の感情を覗く「窓」であり、それによって自分の感情を知る「鏡」です。しかも、とてもつなく安いわけです。ビール一杯より、安いですから。

 

もしも人間関係に疲れたり、会社にいくのが嫌になったりしたら、生きるのがツラくなったり、まずは本のなかにある世界へ避難してみてください。それが僕が唯一、悩んでいる人に差し出せる手段です。

 

とある小説家がとてもいいことを言っています。

なんのために小説を書くかといえば、

結局はこれに尽きる ──

あなたはひとりぼっちじゃないんですよ、

と伝えるため。

スーザン・ヒル(イギリスの小説家) 

 

こうやって人は、物語を書きつづけ、生き続けるのでしょう。

どうかこれからも、いい物語が生まれ続けますように。

 

というわけで最初にもどって、この夏休みは、「新潮文庫の100冊」の世界へどっぷり浸かってみてはいかがでしょうか。 全部買っても、68000円くらいらしいですよ。

 

以上です。