「メキシコの漁師とMBAコンサルタント」の話から考える仕事感について
「漁師とコンサルタント」という有名な話がある。
僕はこの話がとても好きです。
たぶん、有名なので知ってる人は多いと思いますが、だいたいこんな話。
メキシコの海岸沿いの小さな村に、MBAをもつアメリカのコンサルタントが訪れた。
ある漁師の船を見ると活きのいい魚が獲れている。
コンサルタントは聞いた。
「いい魚ですね。漁にはどのくらいの時間かかるのですか?」
「そうだな、数時間ってとこだな。」
「まだ日は高いのに、こんなに早く帰ってどうするのですか?」
「妻とのんびりするよ。一緒にシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しみ、それで、寝ちまうよ。」
それを聞いてコンサルタントはさらに質問をした。
「なぜもう少し頑張って漁をしないのですか?」
漁師は聞き返した。「どうして?」と。
「もっと漁をすれば、もっと魚が釣れる。それを売れば、もっと多くの金が手に入り、大きな船が買える。そしたら人を雇って、もっと大きな利益がでる。」
「それで?」と漁師は聴く。
コンサルタントは答える。
「次は都市のレストランに直接納入しよう。さらに大きな利益がうまれる。そうしたら、この小さな村から出て、メキシコシティに行く。その後はニューヨークに行って、企業組織を運営すればいいんだよ。」
「そのあとはどうするんだ?」漁師はさらに聞いた。
コンサルタントは満面の笑みでこう答えた。「そこからが最高だ。企業をIPOさせて巨万の富を手に入れるんだ。」
「巨万の富か。それで、そのあとはどうするんだい?」と漁師は最後に質問した。
「そしたら悠々とリタイヤさ。小さな海辺の町に引っ越し、家族とのんびりシエスタを楽しみ、午後にはギターを弾きながら子供と戯れ、夕暮れにはワインを傾けながら妻と会話を楽しむ。のんびりした生活を送れるのさ。」漁師はため息をつき、やれやれ、という顔で一言を付け加えた。
「・・・・そんな生活なら、もう手に入れているじゃないか。」
これはアメリカ(?)に伝わるビジネスジョークです。
資本主義の手先であるMBAを取得したコンサルタントの言うことなんて、
無意味でバカなただの笑いのネタみたいなもんですよ、と。
多くのひとは「ハハハ、そうだよMBAなんて、人の大切な生活に何の意味もなさないんだよ」と笑ったことでしょう。僕も最初聞いたときは、気の利いたジョークだなと思いました。
でも、本当にそうだろか?
すぐれた釣りの技術を持ち、必要最低限の仕事をし、シエスタを楽しみ、家族を大切にする。その価値観はすばらしい。サイコーだ。別にそれはそれでいい。
でも僕はそんな人生はごめんです。
そもそも、
「ずっと釣りだけをしてのんびり過ごした60歳の男」と
「がんばって仕事をし、仲間を増やし、船を買い、倉庫を買い、レストランとのコネクションを開拓し、ニューヨークで企業経営をし、リタイアして、ずっと釣りだけをしてのんびり過ごした60歳の男」は、
果たして同じ男でしょうか?
それは本当に同じ暮らしでしょうか。
広がっているのは同じ眺めでしょうか。
そうじゃないだろうと思うわけです。
でも、この2つの生き方のどちらを選ぶかは、本当に人それぞれ違います。
俺の親友は割と前者の生き方を愛する人が多いかもしれない。
でも俺はあえて言うのだけど、
できるだけ多くの人に後者の人生を選んでほしいと思ってしまいます。
とても大きな苦労をするに違いない。
せっかく手に入れた仲間に裏切られて決別したかもしれない。
規模を拡大しすぎてうまくいかなくて頭を抱えたかもしれない。
レストランの開拓も思うようにいかなかったかもしれない。
企業経営なんて未知のセカイはきっと苦労しただろう。
でも、きっと、たくさんのものを得て、成長したに違いないわけだ。
多くの人と出会い、心が動き、時には涙を流して仲間と喜びあったかもしれない。
もしくは喜びなんかなくて、絶望しかなかったのかもしれない。
でも最後には「あぁうまくいかなったけど、俺はチャレンジした」と、
数多の出来事と出会いを振り返りながら、眺める海はやっぱりとてもすばらしいんじゃないだろうか、と思うんです。
「漁師とコンサルタント」の話は、決して「まぬけなMBAコンサルタント」という話としては片付けられない、テーマなんじゃないか、と酔っぱらってひとり考えてしまうわけです。
以上です。
追記:
昨日の夜、知り合いが起業してあたらしい事業を起こした
その決起集会にいってきて、酔っぱらいながら書いてしまった。
どれだけ大変な道のりかは解らないけど、
たくさんの仲間に支えられて楽しそうでした。
そういうチャレンジをする人たちを応援したいと思います。
前途を祝して。