文鳥社とカラスの社長のノート

株式会社文鳥社/ 株式会社カラス のバードグループ代表をやっています。文鳥文庫を売ったりもしています。

起業して、よかったこと、悪かったことを、つらつらと。

2015年に取り組んだ最も大きな仕事は「会社を辞める」ことでした。

たかだか会社を辞めるということが、どうしてあんなに大仕事になるのだろうかとも思いつつ、半年がたち、振り返ってみて「辞められたこと」は、やはりとても意義のある出来事だったと考えています。

 

どうして博報堂を辞めたのかに関しては、大きなところから小さなところまであるし、ネガティブもポジティブなこともあるしと、数えだしたらキリがありませんが、いくつかキーになったことだけ書いておこうと思います。

 

 

⑴ 6年周期信仰

「会社の常識は、社会の非常識だ」と誰かが言いました。本当にその通りだと思います。どれだけ大きな会社だとしても、そこはとても小さな社会です。

なかでも博報堂という会社は、とても独自的であるがゆえに閉鎖的で流動性のひくい会社でした。その中に留まることに対する危機感は絶えずありました。大前提として、一つの場所に留まることは、成長という観点で言えばとても危険なことだと考えていたからです。それが例え、どれだけ優れた組織であれ。

 

自分は「6年周期信仰」というものを、やんわりと持っています。小学校に入るまで6年。中高で6年。大学・大学院で6年。会社生活も6年で、ちょうど30歳でした。はじめの一歩を踏み出す、背中を教えてくれるきっかけとしては、ちょうどいいジンクスです。

 

⑵  「つくる側」にいくこと

入社してすぐ「クリエイティブ局」に配属されコピーライターをしていました。広告クリエイターという仕事は、なんだかとても「もてはやされ」ています。それがとても不思議でした。なぜなら広告クリエイターよりも、メーカーの人たちのほうがよほど「創造的な仕事」をしているように思えたからです。 

広告は、他人のお金で、人の意思の範疇で何かを作ります。金銭的なリスクもなければ、責任をとることも稀です。極端な話「当たれば広告のおかげ、外れたら商品のせい」にできてしまう世界です。もちろん素晴らしいCMやグラフィックを作るひとはたくさんいたし、それはものすごい才能と努力の賜物です。だけど自分のリスクをとって、ゼロからものづくりをするひとに、より強い憧れるようになりました。プレゼンをしていても「あっち側に行きたい」と思ってしまうのだから、もう行くしかありません。

 

⑶ くだらない組織事情からの解放

ただの愚痴ですが、会社のくだらない仕組みがとても嫌いでした。20人もいるような会議がありました。誰も読まない議事録を書くことがありました。外部の業者を呼んだくだらない研修がありました。動き出すまえに「説明しなければならないひと」が多すぎました。この時代に「出先表」を書けと言われることがありました。30歳にもなって、そんなことに縛られている自分にうんざりしていました。

 

会社を辞めてからのこと

「文鳥社」という会社をつくりました。そこで「文鳥文庫」というプロダクトをつくりました。いま思えば、自分たちの手で何かをつくり、自分たちで販売するというのは初めての経験でした。それらを喜んでくれるひとがいる、というのは本当にうれしいことです。 文鳥文庫は、ネットや書店を通じて、いい感じに販売をスタートできました。

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 (写真は「無印良品 有楽町店」 文鳥教の祭壇と呼ばれています)

 

第二弾では尊敬する村上春樹さんの作品「四月のある晴れた朝に100%の女の子とに出会うことについて」を出版しました。まだはじまって間もない文鳥文庫から出版できたるというのは、夢のような話です。無印良品さんで取り扱っていただけていることもありがたいことです。文鳥文庫という一つのプロダクトを通して、多くのひとに出会え、繋がれたことは1年間の大きな収穫でした。

 

<目覚まし時計のない生活> 

当たり前ですが、仕事の環境が変わりました。時間の自由、為すことの自由があります。全ては自分の裁量次第であり「くだらない会議」なんてものはなくなりました。毎日、あたらしいビジネスのことを考えられるのはとても楽しいことです。

 

例えば、この半年、ほとんど「目覚まし時計」をかけなくなりました。午前中には打ち合わせをいれないようにして自分の作業にあてているので「無理をして起きる」ということが必要なったからです。目覚まし時計ほど人の体に悪いものもないのではと最近は考えています。そして、不思議なことに、前よりもちゃんと起きています。

 

<反省> 

しかしながら、会社を始めてみて、反省点があまりにたくさんあります。正直にいえば、ちょっと舐めてました。

 

雇用というものは、本当に難しいことなのだと実感しました。 誰かを社員としてきちんと雇用することがまだできていません。世の中の会社は、こんなことを平気でやっているんだからみんなすごいものです。

 

また、ストレスという意味では、以前と変わっていません。ストレスって環境じゃなくて、自分の性格次第なんだな、と実感しています。くだらない打ち合わせのストレスは減ったけど、お金のことを考えるストレスは増えました。営業も、資金繰りも、在庫も、デザインのことも、トイレットペーパーのことも考えています。ミスが多く、たくさん損をした部分もあります。

 

<失うものなんてなかった>

辞めてから気づいたのですが、辞めてから失ったものって本当になにもないのだな、と。安定のサラリーくらいですが、同じ量働けば同じくらいは稼げるものです。

大学を出たばかりの頃、自分はなにも持っていなかった。そこに戻ったような感じがします。というか、別に博報堂にいたときだって、なにも持ってなくて、何かを持っているような気がするだけでした。ゼロからまた始められるというのは、とても楽しいことですね。

 

<つくること、うごくこと> 

小さな悩みは増えましたが「大きな悩み」がなくなりました。それは「自分の人生はこれでよいのだろうか」という漠然とした最も大きな悩みです。会社にいるときは、その亡霊のような悩みに付きまとわれていた気がします。こういった「漠然とした亡霊のような悩み」は、歩き出すとたいていは消えさるものです。

 

困難の数は変わらないけど、進むべき道は間違っていないという実感があります。「何かを作り、販売する」というシンプルなことが、圧倒的に楽しく、素晴らしい仕事であると実感しています。だから総じて、2015年、辞めたことは大きな一歩でした。

 

辞めて拓ける世界があることは事実です。新しい結びつきがたくさんありました。そこからいくつかは仕事となり、形になっていくのが今から楽しみです。今年はいくつかの事業を形にし、収益をあげ、ひとを雇用していける一年にしようと思います。

 

次に6年周期を迎える36歳までに、どこまで自分と会社を成長させられるか。それを考えると、楽しみもあり、不安もありますが、飛ぶ鳥を落とさない程度に、頑張っていこうと思います。

 

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 (仕事を見にくる文鳥会長の写真)