『デザイン思考』とは何か。
2015年は「デザイン思考(Design Thinking)」という言葉が日本で割と一般的になった年だったような気がします(この一年で「デザイン思考」にまつわる本が100冊近くもでたとか)。しかしながら、その本質を理解している人はとても少ないようです。当たり前なのですが「デザイン思考とは何か」を理解するためには、「デザインとは何か」を理解する必要があります。日本はデザインに対する教育が、義務教育はもちろん大学ですらほとんどないので、デザインのことを理解するビジネスマンがとても少ないのが現状です。
デザイン思考語るのは、一筋縄でいきません。なんとか一言で言い切ってしまうとこうなります。
①本質的な問題の発見/設定し、②「感性」に則った「創造的」問題解決を目指す思考。
①を「水平思考」と呼んだりもするようです。何か課題に直面した時に、「どこに問題があるのか」を正確に把握する必要があります。常識、慣習にとらわれずに、ゼロベースで現状を見極め、問題を発見する力です。これが案外難しいものです
②の「創造的な手法」とは、今はない何かを創造することによって、問題を解決することです。やり方を少し改善するとか、回数を増やすとか、そういう「既存の延長線上の考え」ではなく「創る」ことによって問題を解決することです。そしてそれらは往々にして「ひとの感性」をうまくとれえることが重要になります。それが「デザイン」たる所以です。
と言ったところで、「デザイン思考」の概念はとても分かりづらく説明しづらいので、具体例をもって語るのがいちばんいいです。というわけでいくつかケースをあげました。参考書は「宇宙兄弟」です。
1. 公共のトイレの掃除
2. フジテレビの視聴率低迷の原因
3. 宇宙兄弟に学ぶデザイン思考①「コロッケ・イノベーション」
4. 宇宙兄弟に学ぶデザイン思考②「ロケットの打ち上げの費用を下げるには」
5. 「文鳥文庫」自社プロダクトの紹介
--------CASE1 公共のトイレの掃除 -----------
例えば「駅のトイレをきれいに掃除をする」ことが課題だとします。駅や空港といった公共施設では、トイレの清掃は大きなオペレーションです。そして、公共トイレというのは、放っておくとあっという間に地獄のような状態になります。
さて、どうするといいでしょう。トイレの掃除の回数を増やすかもしれない。ルンバのようなトイレ掃除機を開発するかもしれない。汚れを取りやすくするモップを開発するかもしれないし、汚れにくい「抗菌」の床をつくるかもしれない。トイレの構造を変える必要があるのかもしれない。
どれも正しい解決方法です。
だけど例えば、「汚れたトイレをどう効率良く掃除するか」という考えから離れて、「そもそもトイレを汚れないようにする」ことのほうが「解決すべき問題としての優先度は高い」はずです。なぜなら汚れなければ掃除をする必要もなく、あらゆる意味でコストが下がるからです。
そこから先もいろいろ考えはあると思いますが、 例えばそこで「トイレの底にシールを貼る」、という解決策を思いついた人がいたらそれはデザイン思考の持ち主です(このケース、男性しかわかりませんよね、すみません)。
そこに的があれば、狙いたくなってしまう。それが男の性(本能)というもの!その「感性的」な行動を利用して、汚くなる可能性を下げることに成功するという話です(女性のみなさん、何言ってるかわからないでしょうけど)。一説によると、関西国際空港の方が思いついたアイデアだとかで、ものすごくトイレがきれいになり、掃除が楽になったということです。
トイレを「どうきれいにするか」ではなく「そもそも汚さない仕組みはないのか?」という問題設定に切り替えられるかがポイントであり(①本質的な問題の発見)、これが意外にできません。
さらに「シールを貼ったら、みんなそこに狙い撃ちするんじゃないか」という創造性(②創造的な問題の解決)は本当にすごいものだと思います。とても安価で、リスクの少ないチャレンジです。
--------CASE2 フジテレビ視聴率低迷の原因--------
一旦話がずれます。逆に「デザイン思考」が足らなかったケースを紹介します。それはフジテレビの凋落の原因に関してです。
フジテレビが見られなくなった理由はいろいろあると思うのですが、「テレビ欄がいちばん右側になった」ことが大きく関係していると思います(すでに多くの人がこれを指摘しています)。
ご存知の通り、地デジに変わるときに、チャンネルがガラッと変わりました。フジテレビは「8」という数字をキープする選択をしたので、テレビ欄がいちばん右側に移りました。慣習的に、テレビ欄は左のほうからみていきます。「人は数字を1のほうから追っていくほうが気持ちがいい」からです。リモコンも1か、もしくは4から順に押していくひとが多いのではないでしょうか(もちろんひとによっては逆からの人もいるとは思いますが)。
そうなると、テレビ欄を見たときも「フジテレビは最後にみる」し、チャンネルを順に押していくことにより「フジテレビは最後にみる」ことになります。視聴率争いにおいて、フリになるのは当たり前です。もちろんその証明になるわけではないのですが、現在の視聴率ランキングは、ほとんどチャンネル番号の順位になっています (テレ東も昔より伸びてますし)。
2016年3月期・上期視聴率
今さらなにを言ってもあとの祭りですが、デザイン思考(人の感性部分)をより意識し、大切にし、「人の感性的行動の大切さ」を追求できる人が必要だったのだと思います。いいテレビ番組をつくることと同じくらい、「チャンネルの順番」が「テレビをみるひとの行動を左右する」だろうともっと検証が必要だったように思います。創造的な解決の話ではありませんが、こういった場合にも「デザイン的思考」はあらゆるビジネスに重要になるのだと思います。
「宇宙兄弟」に学ぶデザイン思考
「宇宙兄弟」という小山宙哉さんが書かれている漫画があります。僕はいろんな意味でこの漫画が好きなのですが、読むたびにその創造性に驚かされます。そこらへんのデザイン思考の本を読むより、よっぽどデザイン思考が学べる書籍です。物語のなかで生み出される「デザイン思考」を2つ紹介します。※ネタバレですすみません
CASE3 コロッケ・イノベーション
例えば「コロッケの売り上げをあげる」という課題があるときに、何を問題とするかは無数の考えがあります。味、素材、ネーミング・・・。しかし、コロッケにおいて「カタチ」を重要視するのはなかなか生まれない問題提起です。
コロッケは丸いというのは、地球が丸いのと同じくらい当たり前のことだからです。生まれたときからコロッケはずっと丸いので、その固定概念からから抜けさすのは至難の技です。
そしてこのタブさんは、このセリカちゃんのために、新しいコロッケを開発します。それがこのハート形のコロッケです。「ハートのほうがなんかちょっとおいしいね」というセリフがこれまたいいです。こうして、新しい「人の目を引く」「ひとの愛着をとらえる」コロッケがこの世界に「創造」されました。イノベーションは別にテクノロジーばかりじゃないんだぞ、と思い知らされました。
---------CASE3 ロケットのコストを下げる---------
ロケットの打上げには膨大なコストがかかります。 そのコストを下げることが主人公ムッタの使命となります(21巻)
さて、打上げコストを下げるには「ロケットを軽く」することが最重要課題です。そしてそのために、月面の開発に使う資材をどれだけ「減らせる」か「軽くする」ことが大切になってきます。しかしながら、資材のコストを一つ一つ軽くしていくことはとても手間がかかるし、ものすごく軽くなることは期待できません。そこで主人公ムッタが考えるアイデアは「必要な資材を月面で作ればいい」というものです。
3Dプリンター1台を月に持っていくことで、その他の資材は月で作れるようしてしまえば、いちいち地球から運ぶ必要がありません。その素材は月にある砂、レゴリスを使うので原料は月にいくらでもあります (本当に月の砂で作れるかどうは知りませんが)。
「打ち上げのロケットを軽くしろ」という課題に対して、積荷自体の「軽量化」という、垂直思考から抜けだして、「月で作ればいいじゃないか」という問題をすり替えることは、なかなか出来ることじゃありません。
ケースを見ているだけだと「なんだ、そんなこと簡単じゃないか」と思われるかもしれませんが、これは本当に難しいのです。宇宙兄弟を書いている小山さんは、間違いなくデザイン思考の達人だと思います。日本のメーカーのコンサルティングをしてほしいくらいです。
--------CASE5 文鳥文庫---------
ここぞとばかりに自社のプロダクトの話で恐縮ですが、文鳥文庫というものをつくりました。16ページ以内の素晴らしい短編小説を、蛇腹型に印刷して、カードのように販売するものです。
数ページの作品を収録するには、製本するよりも、蛇腹型にしたほうが安定しますし、案外、読みづらさはありません。従来の本という形式は、短い作品に適していません。だから、走れメロスなどは「短編集」として販売せざるをえませんでした。それは本というデザインに瑕疵があったと言えます。短編には短編にあった「本の姿」を考える必要がありました。それで今回、こういった蛇腹型の形式で販売することになりました。
「本」という枯れた文化であっても、まだ新しくデザインされる可能性がいくらでも残ってるのだから、どんなもにでもきっとその可能性があるはずです。
どうして今「デザイン思考」が重要視されているか。
縄文時代に土器を作ることも立派なデザイン思考でした。椅子を作る、机をつくる、お箸をつくる。全部デザイン思考によって生まれたものです。ずっと昔からあった、人間的な行為です。
それにもかかわらず2016年になった今頃「デザイン思考」とか言われている理由は、社会から「創造性」が減ったからです。物が溢れて「創造する対象が減った、または難しくなった」ことにより「創造しようとする人」が減ったのだと思います。仕事の多くが、創造することではなく、従来のシステムを回す労働に費やされています。生産性が低い国と言われても仕方がありません。
たまに「デザイン思考とはプロセスである」という説明を見かけますが、これは間違いです。デザイン思考は、プロセスではなく、思考・姿勢です。大手のデザインファームが「売りやすく」するためにプロセス化しているにすぎません。
デザインファームが大手の企業にたいして行う「デザイン思考ワークショップ」は、数千万円、ときには1億円かかることがあります。3ヶ月くらいのプロジェクトを組み、テーマをブレストし、拡散してから、壁にポストイットを貼って、フィールドリサーチに出て、写真をとったり、プロトタイプを作るなどをします。しかしながら、ご想像のとおり、そこで何かが生まれることは稀です。そもそも、僕はデザイナーがポストイットを壁に貼ってる姿なんてみたことがありません。
結局のところ、デザイン思考は、デザインとほぼ同義です。それはとても個人的でストイックな「創造性」です。卓上のPC画面だけでは考えられない、現場主義であり、常識や前例にとらわれない自由さが必要になります。もし本当にデザイン思考を学びたければ、デザインを学ぶべきです。世界の成り立ちを知り、空間のことを考え、素材に触れ、技法を学び、なにより「ものをつくる」ことです。
どうか、日本の企業のみなさんは、高いお金を払って「デザイン思考ワークショップ」なんてものを買うのはやめてほしいと思います。それは、創造性の放棄に等しい行為だと思います。
こんな記事が広がっていました。言いたいことはその通りなのですが、1つめの「“デザイン”の概念がどんどん広がっていく」というのは、完全に間違っています。デザインの概念は広がることなんてくなく、いつの時代も変わらないものであり、それはつまり「よりよい、正しい社会」を追求する行為です(詳しくは以前会社のブログにも書きました)。
デザイン思考という言葉に、大した意味があるとは思っていません。「データ」と呼んでいたものを、ある日から「ビッグデータ」と呼びだしたということに近いと思います。言葉に本質的な意味はありませんが、それによって、デザインに対する興味を持つひとが増え、実際にデザインするひとが増え、そしていいデザインが生まれるようになれば、よりよい社会になっていくだろうなと期待しています。
みなさん、ぜひとも宇宙兄弟を読んで、デザイン思考を学んでみてください。