文鳥社とカラスの社長のノート

株式会社文鳥社/ 株式会社カラス のバードグループ代表をやっています。文鳥文庫を売ったりもしています。

先生、大学って、ほんとうに必要なんですか。

大学にいかなくちゃいけないものですか。というようなことを、高校の頃に先生に聞いたことがあった。どんな答えが返ってきたかはよく覚えていない。それくらいには曖昧な回答だったのだと思う。今とは比べ物にならないくらいに無知だったので(今も無知なんだけど)、そんなものかと諦めて大学勉強をはじめた。受験勉強はゲームのようで割と楽しく進めることができた。 そんなわけで、早稲田大学の理工学部に入学した。大学時代について語れることはあまりに少ない。そこそこに勉強し、そこそこにアルバイトをし、そこそこに遊んだ。何かを成し遂げることもなく、自分の人生の中でも極めて微妙な時期だったことは間違いない。あまりに暇だったので、たくさんの本を読めたことは、とてもいいことだったと思っている。 結局、その大学でも自分のやるべきことを見つけることができず、その後東京大学の大学院までいくことになった。6年間も学生をしてしまい、それなりに学びにはなったけれど、社会にでたほうがよほど成長できただろうと、かなり後悔している。親のお金で大学に行っていた人のなかで、「その分、死ぬほど勉強しました」と言える人間がいたら教えてほしい。少なくとも俺の周りにはひとりもいない。

 

bylines.news.yahoo.co.jp

 

駒崎さんの記事が話題になっていた。駒崎さんのメッセージ性の強い記事が好きだし、この内容自体はとても勉強になる主張だった。しかしとても大きな違和感が残る。それは、「大学に行くことが圧倒的な正義である」かのような前提のもとに話が進んでいるところに起因している。読みながらモヤモヤしてしまう。 「大学って、ほんとうに必要なんですか?」もしくは、「こんなに多くの人が大学に行く必要がありますか?」ということをもっと議論したほうがいいと強く思う。自分なりの結論を先に書くと、ほとんどの人にとって大学は不要であるにもかかわらず、そのほとんどの人が大学に行くことで、個人にっても社会にとっても無駄ばかりが生まれている、と考えている。 駒崎さんの記事に限らず、今の日本社会には「大学にいくことが正しく、幸福なことである」という思想が根底に流れている。逆に大学に行かない(行けない)というのは不幸なことである、と多くの人が考えている。だから記事のような議論になる。ぶっちゃけたところ、「大学に行ってない人ってかわいそう」と「大学に行った多くの人たちが下に見ている」という社会の構図が確実に存在している。それは今の社会にはびこる巨大な偏見のひとつだ。 その昔、大学というのは裕福や健全の象徴のようなものだったのだったのかもしれない。社会が今よりも貧しく、未熟な時代。学びたくても、学べない時代。月明かりで本を読んでいた人がいたというその頃、大学というものは、とても崇高な場所だったのだろうと思う。必死に勉強した先人たちのおかげで社会が豊かになり、実際に多くの人たちが大学に行くようになった。 その結果、「とりあえずみんなが大学に行く」という思想が社会に蔓延した。「何かを学びたい人が行く特別な学校」である大学という本来の存在価値は消え去り、ほとんどの人間は、学びたいこともなく、意思もなく大学に行くようになった。そして4年間、高い学費を支払い(多くは親に出してもらって)、大して学ぶこともなく、ロクでもない大学生活を過ごす。自分の大学生活を通して、そういった人たちを目の当たりにしてきたし、僕自身がまさにそのひとりだった。 そんな風に大学に行く意味ってどこにあるのだろう?モラトリアムにしては、4年間は長すぎるし、学費は高すぎる。働きながら(アウトプットしながら)学ぶ方がよほど身になるだろうとも思う。

本当に学びたいことがある人間だけが大学に行く社会。 

 

結局のところ、「何か特別なことを本気で学びたい」と考える人間だけが大学に行くような社会にすべきなのだと思う。そんなこと、僕が今更いうまでもなく、大学というのは本来そういう場所だったはず。

 

みんながみんな大学に行く必要なんてない。「勉強はしたくないけど大学に行く」なんて時間の無駄だ。大学の数をできるだけ減らして、「本当に学びたいという意欲のある人」が行くようになればいい。長期的な技術の発展と研究に貢献したいと思うような人だけが行けばいい。今の大学には1%くらいしかいない人種だ。

 

あとは、「大学」と「働く」の順序を逆にするのもいいと思う。社会に出て仕事をする中で自分がやりたいことは見つかるもので、「もっと学んでおけばよかった」と思うのは、だいたい働き始めた後のことだ。「自分が何を学びたいか、18歳でわかるわけがない」という声があがると思う。その通り。だから、働く中でそれを見つけ、その後に大学に行くような仕組みづくりが重要になる。

 

僕自身で言えば、大学を出たあとに広告制作の仕事をするようになってから、美大に通いデザインをきちんと学びたいと思うようになった。高校3年生のころの自分には、美大という選択肢は頭の片隅にもあがらない。なぜなら社会を知らなかったから。今はまだ行けてないけれど、2,3年後には美大に通うことを考えている。

 

だから、自分の子どもには、よほどのことがない限り大学に行かせる気はないし、自分が今つくっている会社は、いつか「高卒採用」を基本にしていきたいと考えている。しかしながら、いま具体的に計画していても、その実現は簡単なことではないと痛感している。社会があまりに「大卒思想」に偏っている。

 

いつか、新卒採用のなかで、「高卒採用」が当たり前になるような社会になるといいなと考えている。とても切実に。だから、大卒思想が当たり前になってしまった今の社会に対して、もう一度問いかけておこうと思う。

大学って、ほんとうに必要なんですか?