文鳥社とカラスの社長のノート

株式会社文鳥社/ 株式会社カラス のバードグループ代表をやっています。文鳥文庫を売ったりもしています。

あらゆる仕事は、次世代の誰かへのエールであってほしい。


カロリーメイト CM|「見せてやれ、底力。」篇 120秒 - YouTube

 

見てもらえるとわかるのですが、なかなかすごい映像です。何がいいと思ったかと言えば「学生を起用している」ところです。

 

僕自身が製作に関わってないので詳細は分かりませんが、(きっとそれほど多くはないだろう)お金を払って、学生にがんばって描いてもらっている。そして、学生の技術と才能と努力のアウトプットの場になっている。メイキングに学生のインタビューもきちんと載っているところがすばらしい。きっと資金的にも時間的にも、そういう構造にしたんだと思うけど、きっとそれだけでなく、学生の力を信じて、それが最も最適だと考えたのだろうと思う。

 

製作したクリエイティブディレクターの方のコメント(Facebook)の一部を引用。

 

今回のCMが無事完成したのは、
一にも二にも三にも、
美大生の「底力」のおかげです。

   

多くの広告は、すでに「力をもった人たち」に頼りがちです。知名度のあるタレントやアーティストや演出監督。そうでないと、競合プレゼンが通らない。クライアントの宣伝部長からOKがでない。代理店の営業も心配する「そんな知名度ないやつじゃだめです」と。お金を投資するのだから、その心配はもちろん当たり前です。

 

だけどせっかく数億円も使ってCM流すのなら(大企業の広告はワンキャンペーンでもそれくらい簡単に動く)、その100分の1くらいは自社の広告だけでなく、新しい才能への投資だと思って使ってほしいと思う。もちろん「広告として機能させる」ことが最優先であることは間違いない。しかし広告として機能させることと、新しい才能を活かすことは、両立できる可能性のある事象でもある。もともと広告には、そういった、パトロンとしての機能が少なからずあった。新しいアイドル。新しい音楽。新しい作家。新しいイラストレーター。新しい写真家。新しい監督。新しい景色。そういったものを広告で発掘してきた例は枚挙に暇がない。もっともっとそういう意識が根付いてほしいと思う。

 

なぜなら、それは社会全体の循環にもつながることだから。新しい才能が発掘されれば、社会は少し豊かになっていく。古いシステムにしがつみついていれば、社会は少しずつ衰退していく。広告代理店のクリエイティブディレクター、営業がそう思える余裕があるか、クライアントの宣伝部、役員、社長がそういう気持ちをもてるかどうか。みんなが名も知らない才能を起用することはリスクがある。その危険を自らの感覚で背負ってやっていくような気概をもった大人が増えるといいなと思います。

  

WEBが普及したこの社会では「いいこと」はちゃんと広まるようにできています。広告だけでなく、あらゆる仕事は、次世代の誰かへのエールであってほしいと願っています。自分も30歳を超えて、いつの間にかそっち側の人間になっていることに焦りにもの似た気持ちになっている。がんばらねば。なにはともあれ、学生のみなさん、おつかれさまでした。ありがとうございました。

 

f:id:MAKINO1121:20151025153020j:plain

 

 

 

博報堂の就活のESを書いてみる

就活の季節になりました。(昨年から大分ズレてますが)

今年は、例年より少しOB訪問を多く受けています。「もっといいアドバイスができなかったのか」と後悔することも多いし、「こんなエラそうなコトを言えるほど、自分が頑張っているのか」と反省することもあります。

 

そして今日はそんな夜でして、眠れなくなってしまったのでPCをとりだし、「自分なら博報堂のESに何を書くのか」に挑戦しようと思った次第です。

 

あなたが大事にしている言葉(座右の銘) × 広告の仕事」というテーマで自由に論じてください。800 文字以内

 

こんな課題がでているそうです。「論ぜよ」というところが気になりますが、まぁあまり深く考えなくてもいいでしょう(博報堂の人は寛容だから)。 それを置いておいても、難しいですよね。エラそうなこというくせに、大したこともかけないのか、と叩かれるかもしれなけど、それはそれで「こんなものか」と受け止めてもらいましょう笑。 

 

「最後は人柄」と「企業ブランド」  
 「最後は人柄だぞ」と、親父はことあるごとに言いました。学校の友だちと喧嘩したとき、自分が何か自慢をする嫌なやつになったとき、親父は僕にそう言いました。それは消えないシミのように、僕の中に確かな跡を残した言葉でした。本当の意味が分かるようになったのは、大学も終わりに近づいた頃だと思います。

 誰かの本当の友だちになれるかどうかは、「すごい人」や「出来る人」よりも、結局「人柄」で決まる。そんな考え方です。人柄とは「その人の性質がいい」ことをさしています。人の「性質」は、一朝一夕では身に付かないものなので、日日の努力と、徹底的に客観的な自己評価が必要です。いい人柄を創るのは、簡単なことではありません。

 「ブランドづくり」とは、「企業の人柄づくり」なのではないかと、僕は時たま考えます。その企業は「どんな言葉使いで話すのか。丁寧な言葉なのか。強い言葉なのか」「燃えるような赤色を使うのか、潔い白黒にするのか」ロゴ、スローガン、コピー、経営者の言葉、映像。あらゆる要素を使って、その企業の人柄を、少しずつ形成していく作業。それが広告を続ける意味の一つだと思います。ヴィトンを選ぶのは、高貴で丁寧なものづくりをする人柄ですし、NIKEを選ぶのは、スポーツをこよなく愛する情熱的な人柄です。それらはとても長い年月の徹底した人格づくりから生まれています。上辺の人格は見抜かれてしまいます。口先や外見だけなく、実態を伴うことが不可欠です。

 友だちを選ぶように、人柄で選ばれ、愛される企業になる。それが広告の仕事における目指すべきゴールなのだと、僕は思います。でもその前に、自分自身の人柄を磨くことに打ち込まなければなりません。作り手の人柄が悪ければ、企業の愛される人柄(ブランド)が創れるわけないのですから。そう考えると、広告の仕事も結局のところ、「最後は作り手の人柄」なのだと思います。(780文字)

 

おやすみなさい。

 

『マーケティング・センス』の磨き方。

たまには自分がいる会社について語ろうと思う。いつの間にか会社に入って6年がたち、この会社のこともよく理解できてきた年頃になった気がします。就活の時期ですし、会社の宣伝になりますように。

 

結論から入ると、博報堂という会社の最大の魅力は「クリエイター」と呼ばれる人間が社内にウロウロウジャウジャしていることにある。デザイナー/コピーライター/CMプランナー/アートディレクター/クリエイティブディレクターなどがいて、みんなそれぞれ面白いのだけど、中でも、美大出身の「デザイナー」を150人くらい抱えていることが、社内外における最大の魅力であり、価値だと僕は考えている。

 

博報堂は、世間で言う高学歴な人が多い。東大も慶応も早稲田も全体の1割くらいずついる(たぶん)。彼ら(彼女ら)も、すばらしい力をもっているには違いない。でもそれらの存在も、美大卒のデザイナーの価値には遠くおよばない。東大も慶応も早稲田も交換可能だが、デザイナーはそれが難しい。ゼッタイ数にしても、可能性にしても、絶大な希少価値を持っている。

 

そこに何の魅力があるのかと、ざっくり言えば、「ビジネス的なもの」と「アート的なもの」が本質的に融合した部分を楽しめることにある。大京大早稲田慶応…そういった大学をでた人たちと、デザイナーが日々同じテーブルを囲んで打ち合せを繰り返す。そうすると、まともな人間であれば、必然的にデザイン思考がインプットされるし、結果、普通の打ち合せでは生まれないアイデアやアウトプットが実現できる。

 

スティーブ・ジョブズが昔、

「スタンフォード大学にいくのもいいけど、パリにいって数年の間、詩を学んだりすることを強く薦めたい

 というようなことを言っている(意訳)。

 

アートなんてビジネスに役にたたない趣味・道楽でしょ?と極端な人は思うかもしれないけど、それはゼッタイに違う。 ジョブズは「パリで詩を学ぶこと得られる〔何か〕が、これからのビジネスに役にたつ」と言ってるわけだけど、確かにそれは今の日本で理解されづらい考え方かもしれない。それはたぶん、理屈的な正しさや合理性を越えたところにある。とても肉体的であり、感覚的であり、情緒的なものだ。それらは、音楽や詩やアートや物語から学ぶことができる(学問もアートだけど)。 おそらく、ジョブズは音楽とタイポからそれを学んだし、ウォルト・ディズニーは自ら絵を描くとで学んだ。つまり、ビジネスマンが詩や音楽や絵を学ぶことは、「マーケティング・センス」を磨くことに他ならない。

 

どれだけ広くリサーチをし、どれだけ正しく分析し、どれだけ多くの機能を取りいれたプロダクトでも、結局は最後の見た目と手触りで命運が分かれることになる。iPodiMacが他のメーカーと違うのは、あの流線型とマットな質感の中に、すべての機能を閉じ込めていることにある。もちろんiTunesのような仕組みもすばらしいが、結局最後の見た目や手触りへのこだわりに、他のメーカーと大きな差があると僕は考えている。

 

経済やビジネスと、アート(感性)的なものは、ものすごく複雑に密接に絡み合っているにも関わらず、蔑ろにされている気がしてならない。さらに愚痴をこぼせば、日本のビジネス界に圧倒的に足りていないのは、この力だと思う。「ロゴなんて、3万円でネットで外注して、人件費の安い国でつくればいいんだ」というような発言を、有名な起業家がしたりするのを見ていると、とても悲しい気持ちになる。だからあなたはその程度なのですよ、と言いたくなる。経営者が自分でできなくても、その必要性に気づいている人たちが増えてきている傾向もある。ユニクロの柳井さんがジョン・ジェイをパートナーに起用したり、ソフトバンクの孫さんは「そうだ京都いこう」の佐々木宏を近くに置いているように。でもそういった経営者もまだ少数だと思う。

 

残念なことに、博報堂の内部の人でもそういった思考を持っていない人もいる。逆に言えば、日本のビジネス界に足りていないからこそ、この会社のこれからは面白い。単純な話、そのデザイナーの力を活かしきれていないからだ。彼らを武器に、どうスケールするビジネスを創っていけるか。最近の自分の興味は完全にそこにあり、そういうことにチャレンジしていけたらとても楽しいと思うし、日本社会の貢献にもっとつながると考えている。 

そういう意味で、ひょんなことから、博報堂のクリエイティブに配属されて、得る物はとても大きかった。これからはそれを活かしてアウトプットするフェーズだと考えております。

 

最後にひとつ、本の紹介をしたいと思います。

そんな博報堂で40年間、クリエイティブ畑を歩んだ名クリエイティブディレクターの大先輩がさいきん書いた本です。「マーケティング・センス」という言葉に、この記事で書いた要素がほぼふくまれています。ビジネスだろうと、すべてはセンス=感性。分析もセンスだし、プレゼンもセンス。しかしセンスは磨くことができる。そういったことが実際に筆者が博報堂で経験した事例をもとに書かれています。気軽に読めるのでぜひみなさんどうぞ。とくに就活生で広告業界に興味ある人は、本当におすすめですよ。 

 

マーケティング・センスの磨き方 (マイナビ新書)

マーケティング・センスの磨き方 (マイナビ新書)

 

 

 

とりあえず以上です。

 

正しい努力がちゃんと報われる社会がいい。

「努力」に関する記事がいろいろと話題になっています。

がんばった人が報われる社会なんて嫌だ - 意味をあたえる

 

そもそも「報われる」ってなんですか。

 

例えば、大切な人の誕生日に喜んでほしくて、レストランを予約し、プレゼントを買いに歩き回り、当日は最高のおもてなしをしようと「がんばった」とする。それで大切な人が喜んでくれたら、たぶんその努力は「報われた」ことになると思う。

 

だけど、喜んでもらえないことだってある。なんたって人のことだから。プレゼントが気に入らなかったのかもしれない、料理がたまたま美味しくなかったかもしれない。たんに体調が悪かっただけなのかもしれない。がんばった人は残念に思う。でもそれは仕方ないことだ。誰が悪いわけでもない。

 

「報われる」という感情は、とても個人的な感情だと思う。「自分は報われてない」と思う人は、「自分はこんなに頑張っているのにどうして報われないのだろう」と感じている。言い換えれば「自分が社会や他人に対して要求するほどの見返りがなかった」と感じているのだと思う。「がんばり」というインプットをに対して「見返り」というアウトプットが少ないときに「報われない」と人は思うのだろう。

 

「正当な努力をしたひとが、正当に報われる社会」こそが、理想の社会だと僕は思っている。そういう意味で、今の社会はとてもよくできた社会でもある。正しい努力にたいして、成果は割と正しく返ってくる(と個人的には思っているけど、きっとそうじゃないと言う人もいるだろうけど)  。

できることならば、すべての正しい努力が、報われてほしいと思う。今この瞬間、センター試験を目指して不安を抱えながら机にむかっている高校生の努力が報われてほしい。部活動で誰よりも練習をした少年の努力が報われてほしい。街のパン屋さんが寒い朝早くから起きてつくるパンがみんなに喜んでもらえたらいいなと思う。

でも、もしかしたら、テストはうまくいかないかもしれない。試合にはでれないかもしれない。雨がふってパンは売れないかもしれない。だからといって、誰かを恨んではいけない。そこから学んで、また頑張るしか道はない。 

そういう意味で、この社会は厳しく、非情だ。いつだって「がんばる」ことを求められる。「行動」というインプットなしに「見返り」とうアウトプットは戻ってこない。それはもう自然の摂理みたいなものだ。何もしてないでゴロゴロしている人に、愛情もお金も降ってわいてこない。

 

だからこそ、今日もどこかで行われている、正しくてまっすぐな努力が、ちゃんと報われますように。

 

 

 

本当に「近頃の大人」はロクなのがいない。

この期に及んで、こんなタイトルの記事がダイアモンドから出てて悲しくなった。若者ががんばっているのに、大人が邪魔をしている構図。

「おにぎり2万個」握った女子マネージャーの美談に賛否両論! 「夏の甲子園」は本当に必要なのか? - ニュース・コラム - MSNマネー

 

勉学を犠牲にして、おにぎりを2万個握ることが、彼女のキャリア形成にどのように役立つのか。彼女の行為を賛美する人たちは、その視点が決定的に欠けている。

 

まず、彼女の行為を賛美する人たちも「その視点」は持っていると思う。ただ、高校生にとって、机にむかって勉強するより、遥かにそれが人生に役立つことだと知っているだけだ。彼女の経験は、これからの受験勉強にも活きるし、その後のつらく長い人生の確固たる支えになる。(そもそも、甲子園に出るまで選手と努力して、一緒に涙を流すような経験は、その時点で最高の「キャリア」だと思うのだけど) 

 

部活だったり、恋愛だったり、音楽だっていいし、遊びだっていい。本気になれるのなら何だっていい。その瞬間にしか味わえない想いとか、経験が高校生には必ずあるし、それらは通り過ぎたら、もう二度と手に入らない。

そういうものが人生において(とくに10代の人生において)最も重要な要素の一つのはずなのだけど、この竹井さんという人は経験がなかったのかもしれない。「教育的視点」とか言ってるけど、そんな人に教育など語ってほしくない。そして彼女たちの活躍をネタにしてPVを稼ぐタイトルつけるような人に「ソーシャルプランニング」も語ってほしくない。

 

それに比べて、高校生たちは今年も最高にかっこよくて美しかった。マネージャーの彼女は絶対に志望する大学に行けると思う。だって彼女はがんばることの意味も尊さもを知っている人だから。

 

このインタビューはとてもよかたです。ぜひ読み比べてほしいと思います。

春日部共栄のおにぎりマネ・三宅さん引退 「後悔はないです」 - withnews

  幼稚園の先生になることです。結構前からの夢です。小さい子が好きなので。
マネージャーになることも、クラスを落とすことも、自分を曲げないで頑張ってやりとげました。
 この夢も曲げないで、かなえたいです。

ほんとうにお疲れ様でした。

どうか若いみなさん、大人たちの声など気にせずに、自分の夢を曲げずにがんばってもらいたいと、ダメな大人のひとりとして心から思います。

 

以上です。