文鳥社とカラスの社長のノート

株式会社文鳥社/ 株式会社カラス のバードグループ代表をやっています。文鳥文庫を売ったりもしています。

コピーライターじゃなくなりました!~大企業の異動ってそんなもんさ~

広告会社には「クリエイティブ」と呼ばれる部署、というか「肩書き」があります。ほかの言い方では「制作」と呼ばれたりもする人たちです。そこにはコピーライターがいてデザイナーがいてCMプランナーがいるわけですが、いかんせん、名刺を交換するときに「クリエイティブです」というのは、とても恥ずかしい感じがするものです。

 

僕は博報堂に新卒で入って、思いもよらずその「クリエイティブ」に配属されました。入社研修までは「コピーライターなんて変わった職業、専門職として採っているのだろう」と考えていました(実際デザイナーはデザイナー採用があります)。しかし驚くべき事にコピーライターという仕事は「総合職」の中から配属されるのです。100人入社したら5人くらいが配属されます。営業志望だった僕にとってはたいした興味もないことです。まさか自分がコピーライターに配属されるまで。

 

コピーライターに配属された当初、少しは戸惑ったものの、とても楽しそうな仕事だったので未来に向けて希望に満ちた心持ちだった気がします。コピー年鑑とかいう分厚い本をひたすら眺めたり、写経したり、コピーを書いてみたり。もともと僕は言葉や文章が好きだったから、そういう意味では「向いた」仕事だとも思います。

 

で、話は飛びましてようやく本題にはいると…。

そんな僕はコピーライターではなくなりました。会社における肩書きの話です。四月一日付けで部署の異動がありまして(自分にとって初めての異動でありまして)、一応「営業」職に変わりました。名刺にはそのようなことが書いてあります。

 

「コピーライターから営業なんて大変だね」という、ちょっとした同情のような気遣いめいた反応も少なからずあります。多くの制作から見れば、ずっと制作でいたいのだからそういう反応も最もらしいものです。ただ、僕にとってはとても新鮮で、楽しみな異動です。

 

入社して、なんの巡り合わせかは解らないけど、コピーライターになれたことはとても大きかったしありがたかった。ざっくり言って「仕事は、ただの作業ではなく、創造するもの」だという認識が、制作に5年いて手にした大きな財産です。(もちろんそうでない仕事もありますが)

 

そんな僕は肩書きが営業になるわけですが、制作であることを変えるつもりありません。仕事とは、「肩書き」が決めることではなく、「姿勢」が決めるものだと思うのです。博報堂にいて、いろんな営業をみていて「どうしてこの人たちは、自分で考えて、自分でつくらないんだろう」というようなことをよく思いました。脳みそならお前だって持っているだろうと。(ちゃんとした人だってたまにいます)

 

CreativeとかCreativity って、「創造性、想像性」という訳されるけど、Creativity の 訳は「自発性」じゃないかと僕はたまに思います。そしてそれが最も社会の中で活躍するために必要な才能だと。

自分が何をしたいか。自分ならどうしたいか。自分で行動し、何かを作り、社会を少しでも動かすこと。その「自発性」さえ持っていれば、営業でもマーケでも、その人は全くのクリエイターなのだと僕は認識しています。

 

だから、僕の姿勢は別に変わる事はないのだけど、やれることはいろいろ増えそうなので楽しみです。営業になることで、クライアントとつながって、アイデアを考え、自分で企画して、自ら提案しちゃえばいいなんて、楽しみすぎる(そんなに甘くないぞという声が遠くから聞こえます)。

 

思いもよらずコピーライターに配属され、人生が大きく動きました。そしてまた、営業に配属され、大きく変われる気もします。それはそれで、「大企業の理不尽な異動」ってのものなかなか悪くないな、と僕は思うわけです。

 

以上です

 

ここに書いたのは「コピーライターの目のつけどころ」なんていうページ書いてるくせに「あいつコピーライターじゃないのかよ」という突っ込みがどこかで起きないように、と。そして別に変わらず続けていこうと思うので、どうぞ宜しくお願いいたします!

 

 

訪日外国人のためのWEBメディア「MATCHA」がいい感じです。

日本にいると気づかない、日本についてのことってたくさんあります。

つまり、日本人なら誰もが暗黙のうちに了解していることなので、わざわざ説明する必要などないようなことがたくさんあります。例えば、Suicaの買い方、Wi-Fiの使い方、牛丼屋さんでの注文の仕方…などなどいくらでもあるわけですが、

 

そういうの、外国から日本へ来た人たちにはきっと解りづらいものです。How toだけでなく、日本人が当たり前だと思ってるけど実はイケてるスポットや、サービスもたくさんあります。

 

そんな「日本に訪れた人に向けた情報メディア」がこの

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MATCHA - Japan Travel Web Magazine です。

 

例えば…

Join the discount sale at Ame-yoko, where you can feel the spirit of old shopping street – MATCHA

 

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上野にあるアメ横であります。写真がキレイです。こんな風に紹介されると、日本に暮らす人びとも行ってみたい気持ちになりそうです。

 

 

 

How to order a dish at Matsuya(Gyu-don restaurant) – MATCHA

きっと「めっちゃ入ってみたい!」けど「めっちゃ入りづらい!」日本のSPOTであろう「牛丼屋」さんでの注文の仕方を説明してくれます。

 

続いてこちら…

100 phrases to memorize before traveling Japan – MATCHA

日本にいて頻繁に使う(だろう)挨拶や必要単語など100個を紹介。

「快速」と「通勤快速」と「特急」の違いとかゼッタイ解りませんよね。

 

せっかくはるばる日本などという離島へやってきてくれた人たちに…

ぜひ快適に楽しんでもらいたいし「日本にきてよかった」と思ってもらいたい。

だからこういうMATCHAのようなサービスがもっと普及していけばいいですね、と思うのです。ぜひ日本来たいと思ってくれる外国の友人がいらしたは、ぜひ勧めてあげてください。

 

まだまだもっと情報が増えていけばどんどん面白くなると思います。

「喫茶店の嗜み方」とか「立ち食いそばの礼儀とか」とか「パチンコのやり方」とかそういう記事も今後期待したいところです。 

 

クリエイティブの金言 ~ナタで切って、カミソリで仕上げる~

クリエイティブ作業は、楽しくもなかなかしんどい作業です。

それは生みの苦しみともよばれます。アイデアを考える作業には終わりがないのもつらいところです。

 

ハイな時は気持ちよくアイデアを考えられるのに、人の心は不思議なもので、ちょっとダメになったら最後、どこまでも深く落ちていけるのです。

 

 

そんなとき、先人の言葉が暗闇に遠く輝く北極星ののように道しるべになる(ことも稀にある)のです。

例えば、広告の父オグルビーさんはこう言っています。

 

「ワタシなんか、ウィスキーの2、3杯ひっかけたほうがいいものが書ける」

 

さすがです。かっこいいです。

ダメなときはお酒の力を借りることもいいかもしれません。でもアルコールが入ると人は素の状態に近くなるという説もあるので、オグルビーさんは素がすごかったからうまくいったのかもしれません。

 

さて、博報堂にも、いくつかそういった先人の言葉が残されています。

本邦初公開。いくつかご紹介いたしましょう。

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「おもしろいことは簡単なんだ」僕はこの考え方がとても好きです。

見た人が理屈で考えなくてはならないようなコピーや表現ではダメです。つまり A=B B=C ∴ A=C のような、一つ理屈を挟むようなものはダメなのです。

見た瞬間、聞いた瞬間、アタマを使わずに伝わるような感覚的なコピー。

おもしろいことは簡単なんだけど、言うは易し、それを考えるのは難しいので元も子もないですが笑

 

なので次に生きます。

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やっぱ一つ目と似てますね。

広告はかなり理屈的なものです。Aということを伝えたい、ターゲットはBであり、媒体はCを使うべきであり…云々… さらに様々な利害関係者が渦巻き、最後はドロドロになってしまうことも多々あるわけで、そこで登場するのが論理や理屈というきちんとした手順です。だけど、理屈を積み重ねて、みんなが納得する結果は、往々にして、つまらない場合が多くなる。正しさより、楽しさを。すべて忘れて「この歌よくないっすか!」とか「この表現笑えないっすか」という開き直りも、この世界では大事です。

 

さて、最後にもうヒトツ。

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「ナタで切って、カミソリで仕上げる。」

大胆かつ繊細に。力強くかつ優しく。いい言葉です。

 

太い木をナタで切り落とすような『力強さ』(なぜ斧じゃないのかは置いといて)と、

細部まで美しくカミソリで仕上げるような『繊細さ』の両方があって、

初めて広告クリエイティブとして成功するのだ、と。ほんとうにその通り。

これほどうまく的確に表現された金言もなかなかないと思います。

 

 

でも僕は先人の言葉にさらに偉そうに付け加えたいと思う。

 『だけど、切る木は間違えるな』と。

 

(とくに弊社の)クリエイターは割と木を間違えていることがある。素晴らしいひと太刀で大木を切り倒し、カミソリでどれだけ美しく丁寧に仕上げたところで、切る木を間違えていたら、世の中に何の意味もないものになってしまうわけです。

さらに言えば、登る山は間違えるな、と。

 

当たり前のことなんだけど、

目の前にある問題から、一歩下がって、少し俯瞰して、

問題を大きな目でとらえることは大事なんだけど、

これが実は忘れがちなことな気がします。

 

「神は細部に宿る」

 

これもまたクリエイティブ界の金言。実際にうつくしく手を動かせる人は多くいる。

でもこの世界には、「大きな流れをとらえられる人」が、少ないような気がするわけです。大切なのは細部を作る手だけでなく、もっと俯瞰してみる鳥の目のようなものかもしれません。

 

繰り返します。

 

ナタで切ってカミソリで仕上げろ。

だけど切る木は間違えるな。

 

今日のためになる言葉でした。

以上です。

 

 

 

 

 

さて、今年も就活生に偉そうなことをいくつか。

久々にいい感じに酔っぱらったダメな大人として就活生にいくつか偉そうに言いたいと思う。

最近、会社の近くで就活生をよく見かける。(不思議なもので、就活生からは「就活生だオーラ」が溢れ出ているからそれを見ればわかる)会社のラウンジでもよく見かける。たいてい社員がなんだか偉そうに話し、就活生が必死にメモをとっている(仕草をする)ことで、社員が満足して帰っていき、就活生は心躍らせ帰っていく。

ここでひとつ。

「社会人の言うことは1割」

社会人の言うことは、なんだかスゴそうに聞こえる。見たことも聞いたこともない、すごい話をしている気がする。俺もそうだった。最初の方は先輩に話を聞くだけでドキドキしたし「この会社にいきたい!」とその度に思ったものだ。それはモチベーション維持にはよかったけど、恐いことでもある。

OB訪問を受けて、悪い気がする社会人はあまりいない。「自分はスゴいだろう」という自慢話をしたくもなる。社会人にとってOB訪問は数少ない社会での活躍の場なのだ。

でも残念な事実だが、実際はそんなにスゴくない。10倍は話を盛ってると換算して、「1割」として聞いておこう。俺もよくOB訪問を受ける度に反省する。「なんで俺スゴそうに偉そうに話してんだろう」と。でも仕方ないのだ。そういう場なのだ。

 

だからどうか気をつけてもらいたいものです。「どうせこいつらもただの社畜じゃないか」と思いながらOB訪問も面接も望んでほしい。極論かもしれないけど、今の就活ではあまりに社会人が偉そうだからあえて言う。しかしながらどんな人からも学べると考えるというのなら「1割くらいは何かあるだろう」と考えてください。

 

話変わってもうひとつ。

「一緒に働きたいやつが採用される」

「出来るアピール」をしてくる人がいる。こいつはまずい。新人の採用面接でこれはいけない。「どんな人が通るのか?」という質問に対する正解は「一緒に働きたいやつ」でしかない。偉そうにふんぞり返ってる面接官の思考は極めて単純「こいつが自分の部下になったらどうなるか」ということだ。

面接とは「同僚選び」なわけだかから、「恋人選び」「友だち選び」と何ら変わりない。人間が選ぶ。人間を選ぶ。だとしたらほぼフィーリングでしかない。理屈じゃない。

これはサイバーの藤田さんも言ってるから間違いない。「採用は、もの凄く優秀な人を大勢集めるよりも、一緒に働きたい人を大勢集めることのほうが大事であると再認識しました。」

さすが俺を二次面接で落としただけあって解っていらっしゃる。

「でもじゃあどうすればいいの?」という質問は難しいのだけどコミカド先生のひとことを借りて、つぎのひとつ。

 

「自分で探せ!!!」

リーガルハイ第一話で、ガッキーこと黛さんの「だったら、私たちは何を信じればいいんですか?」という質問に対し、堺雅人こと古美門研介はこう答える「自分で探せ!!!!」と。何度見てもすばらしいドラマです。

いろいろ大変なこともあるけれど、就活のすばらしいところは「人生について考える機会と時間を社会がくれている」というところにある(と思う)。そのせいで学業に身が入らないと大学が嘆くかもしれないが、自分の人生をどうしたいかを考える前の学業など何の意味も無い。とにかく就活の意味を好意的にとらえれば「自分の人生を考える」ことにある。

不思議なことに、言葉には重さがある。考えた量は、言葉にのる。その重さこそが、面接の合否をわける。「どんな人が受かるんですか?」「どこの企業がいいですか」「ベンチャーはどうですか」答えは自分で考えるしかない。その考える小さな欠片は誰かがくれるかもしれない。

結局のところ就活で求められる能力とは、自分の人生と社会のつながりについて深く考えて考えて落ち込んだりへこんだりハイになったりしながら考えて、たまに書き出して、また考えて自分なりの答えを見つけてその答えと自分に自信を持つこと。それが出来ればちゃんと選んだ企業に受かる。だけど、

「落ちても気にするな」

面接には落ちることがある。どれほど自分が行きたい企業でも。お世話になった大事な先輩がいる会社でも。自分にここしかない会社だと思ったとしても。

それは「運」という極めてやっかいな気まぐれ者がいるからだ。たまたま面接官とあわなかったかもしれない。たまたま同じキャラの人間が先に受かってたのかもしれない。たまたまESが机から落ちたのかもしれない。たまたまネクタイの色が気に入らなかったかもしれない。それくらいのことで、面接は落ちるし、人生は左右する。でもそれはただの運なのだ。

面接に落ちると凹む。人間が否定されたかのような気がする。実際その場では否定されるわけだからつらい。気にするな、というのが無理だ。でも、落ち込んでも解決にはならない。可能性ならいくらでも残っている。

いい企業などこの世界に腐るほどある。いい仕事はもっとたくさんある。無ければ考えて生み出せば良い。やりたいことがあれば、どこだって変わらない。結局のところ、大切なのものは、どこかの会社ではなく、自分の中にあるものだから。

「社会は楽しい」

そろそろ眠いので最後にします。そこで最後ひとつ言うとしたら、社会は楽しい。これだけは間違いない。

仕事は、社会は、フィールドが無限にあるスポーツみたいなもの。何やったっていい。たぶんルールはひとつ「誰かが喜ぶことをして利益を生む」それが仕事というもの。やりたいことをやればいい。やりたくなきゃ、やらなきゃいい。自由も、責任も自分にある。こんなエキサイティングなフィールドは他にない。うまい珈琲を飲みながら仕事をするのは幸せだし、仲間とやった仕事がうまくいった後のお酒は最高だ。俺は就活のとき考えもしなかったコピーライターなんて仕事をやっている。そういうのも楽しい。

社会が楽しいのだから、その入り口の就活だってもちろん楽しい。いろんな人に会い、いろんな仕事を知り、いろんな可能性を想像してほしい。とにかく楽しむこと。楽しんだやつは何より強い。楽しい世界と未来を想像する力こそ、人が前に進む上で最も必要な才能なのだから。

 

この話も1割です。

おれも頑張ります。

以上です。 

 

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『広告クリエイティブ』って何だろう?part1

この前、ちょっと面白い話を聞いた。

とあるコーヒーチェーンの話だ。

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そこは僕がいつも行くお店なんだけど、

あるビルのオフィス棟の"中二階"的なところであり、

とても変な場所にあるせいか「人の入り」はあまり芳しくなかった。

 

だけどある日の夕方行ったらとても混んでいた。

いつもと活気が違うのだ。客層もなんとなく違う。

次の日にいってもやっぱり混んでいた。

それはやはりどう見ても混んでいたのだ。

 

そこで僕は店員さんに何気なく聞いてみた。

 「どうして最近こんなに混んでるの?」

 それで返ってきた言葉に、僕は大きな衝撃を受けた。

 「あぁ、向こう側に看板がついたんですよ」

 

すごい答えだった。その何気ない一言は僕が5年間かけて学んだ広告クリエイティブ論(のようなもの)を根底から破壊する威力を持った何気ない一言だった。

 

「何をそんな大げさな」と思うかもしれない。

「看板をつける?そんなの当たり前じゃないか」と。そうだと思う。

 人通りがあるけどお店のことを認識しづらい場所があるなら、そこに看板をつけるなんて当たり前すぎる。でも『広告業界』に毒されていた僕にとってその当たり前は、三周くらいまわってイノベーティブだった。

 

例えばもし「あのコーヒー屋の売上げを110%にしろ」と広告代理店のクリエイティブに依頼を持ちかけたとして「あそこに看板おけばいいんじゃないですか」と答えられる人はたぶんあまりいないと思う。少なくとも僕はできない。

 

現代の広告クリエイティブとは、CMは傑作であり、デザインはアートであり、コピーは視点であり、WEBは先進的であり、アイデアはいつもクールでなければならないのだ。「お前はなにをやったんだ?」「はい、看板を増やしました!」では、広告賞はとれない。そういう世界だ。

 

断っておくと、別に広告賞をとりたいために、みんなが広告を作っているわけではないです。でもそういう風潮が、広告クリエイティブ界には確かに存在している。

 

イノベーションだとか、素晴らしい映像だとか、

そういうものを考え始めるまえにやるべきことはきっとある。

スゴいことを考えるよりは、まずはやるべきことを考えるべきだ。

 

別に誰かの心を特別動かしたりはしない。

地味かもしれないし、地道なことかもしれない。

でもたぶん意味がある。

 

少なくとも大喜利みたいなキャッチコピーを考えるよりは、

必要な場所に看板を構えるほうが、遥かにクリエイティブなアウトプットだったのだ。

 

 

と教えてくれた、コーヒーチェーンと店員さんに感謝です。

この場を借りて<(_ _)>