文鳥社とカラスの社長のノート

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オダジマ先生に学ぶ、文章を書くために必要な8つの要素。

小田嶋隆のコラム道

小田嶋隆のコラム道

 

 僕はオダジマ先生の文章が好きです。

どのあたりが好きかと言えば、いろいろあるのだけど、一つあげるとしたら「素直なところ」かと。

執筆の前に結論を出すのではなく、書き始めてからその文章の流れに、ある意味では、身を任せながら、思考をたどり、整理し、新しい発見をしていく。その道筋をありのまま描写していくところが、読んでいてとても心地がいい。

 

「コラムは道であり、到達点ではない」

「海図通りに進む航海は、冒険としては失敗だ」

 

そう、文章を書くことは、思考の旅なのだ。

文章とは書きながら、自分の思考を遠くまで飛ばすツールなのだ(もちろん一つの役割だけど)。オダジマさんの文章が面白いのは、その旅の道筋がよく見えるのと、その旅が行き当たりばったりな感じがするからだ。(行き先の解る旅など面白くない)

 

オダジマさんは、日本で数少ない「コラムニスト」として仕事をされている方です。でも意外に知らない人が多い。コピーライターの仲間でも知らない人が多い。それはそれはもったいないことだと思うのです。(日経ビジネスで今はコラムを書いてるのでそちらもぜひ)

 

というわけで、タイトルを「オダジマ先生に学ぶ、文章を書くために必要な8つの要素」と書いたからには、オダジマ先生の本数冊から、8つの要素にまとめることにします。

 

1. 「一に根気、二に根気、三に根気で…」 

もちろん語彙は多いほうが良いし、イマジネーションだって豊かであるに超したことはない。言語能力もあったほうが良い。でも、それらは決定的な要素ではない。まっとうな文章(←良い文章、面白い文章とは言っていない)を書くための条件は、あくまでも、根気。そう皆さんの大嫌いな言葉だ。

そう、文章を書くとはとても地味な作業だ。料理人は作っている風景も絵にはなるし、画家が絵を書く姿も絵になるが、文章を書く姿は絵にならない。

夜な夜なデニーズで一人PCに向かい、向かい側のテーブルUNOを始めた男女のことを気にしながらも、石橋を叩くようにキーボードを叩き、レンガを一つずつ積み重ねるように論理を積み重ねるような作業だ(隣のグループの目にはどれだけ暗い奴だと映っていることか)。

そして出来上がった結果、この文章が誰の目にも触れない可能性だってある。忍耐であり、孤独な作業だ。そしてはてなでは叩かれる。実に地味な作業だ。村上春樹はそれを「親切心」とも読んでいたと思う。

 

因に、オダジマさんはひとつ間違えている気もする。「必要なのは根気だ!」と言われて喜ぶ人は多いはずだ。だって、「それなら自分にもできる」と思えるから。「必要なのは才能だ!」と言われるよりずっといい。

 

2. 書き手の個性と読み手の普遍性を持て

良い文章は、95%の普遍性に5%の個性を付加したぐらいのバランスの上に成立している。

 ものを書くにはある程度の個性が必要なのは当然である。独自の視点、ユニークな文章の書き方、その文章を読んで「その人」であることが解る個性が必要になる。でも時に「個性」はただの押し付けになる。

 

良い文章を書くためには「書き手としての個性」と同人「読み手としての普遍性」が必要になる。普遍性、あるいは凡庸さとも言えるし、すべての読み手の「最大公約数」とも言える。そうでなければ、多くの人に読んでもらえることは難しい。いやいや、俺は個性100%で書きたいんだという方は、誰にも読まれない覚悟で書くしかない。

 

3.書き出しに悩むな

 書き出しに悩む人は多い。というか、誰だってある程度は悩む。でも文章を書く行為が「旅」である以上、スタートはそれほど重要ではない。書きながら、方向を定め、目的地を探っていけばいい。書き出さなければ、船は永遠に出航することはない。

旅のきかっけなんか何だって良い。全体の構成だって気にしなくて良い。航路が決まっている旅など面白くないのだから。

 

4.結語にはこだわれ

書き出しと違って、終わりはとても重要だ。多くの人は本文の「要約」をする。しかしこれは無難だ。勝負していない。特にコラムやブログのような自分の個性を出すべき文章では。たとえ最後に滑ってもいい。そこはチャレンジすることが大事なのだ。

 

天声人語のような終わり方もよくない。「笑顔。高度成長期とうひとつの時代を生きた男の笑顔だった」「今日は健康記念日。晴れの特異日だという」「この空はアリゾナまで続いている。そう思いたい」……季節や、余韻を残すこういう一行は(特に年配の女性読者には)有効だ。でも、イヤミでキザだ

(多分に好みの話でもある)

 

最後の一行はチャレンジして独自の技巧を磨くべし。

 

5.書き続けろ

書き続けることは大切だ。それは訓練の意味もあるがもっと大切な意味がある。モチベーションを保つことだ。文章は書くことで、次の文章が生まれてくる。1ヶ月書かなければ文章を書く材料がたまるわけではない。文章は書いていると「あ、次はこのテーマについて買いてみよう」というような次の文章が生まれてくる。何よりペースとういものが大切だ。一度書きそびれると、またPCに向かうことは難しい。一日一稿と決めておけば、なんだかんだ書けるというものだ。

 

6. Google先生に頼るな

解らないことがあると、Wikipedia教授とGoogle先生にたよりがちだ。でもそうしていくと、文章から独自性は消えていく。文章とは「自分の中からひねり出す」ものなのだ。間違っていそうなときは、断りをいれておく。「これは記憶が確かではないのだが…」とか。幼少の頃のこと、最近であった見識、なんでもいい。「文章を書くとは、自分の内面と会話することに他ならない」って確か誰かが言っていた気がする。

 

7. 斜め上から見ろ

あるニュースを見る。テレビはこういっていた。でも実はこれには裏の構造がある(ということに自分が気づく)。そこで初めて、文章になり、コラムになる。誰もが見ていることを買いてもしょうがない。裏を見る眼、斜め上から見る眼。

かといって、裏ばかりみろ、というわけではない。複数の視点で物事を見る眼が必要なのだ。反論まで含めて書かなければ深みのある文章にならない。

 

8. 行き先は決めるな

これはすでに何度か書いた通り。文章を書くとは旅であり、航海である。人はもともと原稿用紙を4枚分の思考をすることなどできない。けれど文章を書くことで、その思考を広げ、深め、遠くまで飛ばすことが出来る。それが文章のいいところだ。

 

結論が解っているような文章など、きっとまだ浅瀬で遊んでいるにすぎない。一語一語を書かきながら、人は今までに見たことの無い景色を見に行くことができる。それが文章の書き手の楽しみであり、その航路を読者にも楽しんでもらう。それが文章というもののすばらしさだ。 

 

と、ここまで書いて、9つ目が必要なことに今気づいたので書くことにします。

9. 叩かれることを恐れるな

文章を書く上で、用心深さは必要だ。 根気と親切心も必要だ。個性も普遍性も必要だ。

でも何かを主張するからには、反論は覚悟しなくてはいけない。できるだけ誰かを傷つけないように書いても傷つけてしまうこともある。それは辛い。そして叩かれると痛い。しかしそれを恐れていては、鋭い文章など書けるわけもない。オダジマさんの言う「地雷を踏む勇気」というやつだ。空気を読まずに、意見を書くのだ。

 

 

内容に関してはかなりの意訳+勝手な見解が混ざっているので、もしもオダジマ先生が見たら「こんなこと書いてない!勝手なことを!」と怒りだすかもしれない。だからはっきりここでひとつ明言しておく必要がある「この文章は、オダジマ先生の見解とは無関係である」と。(あからさまな予防線だ)

というわけでオダジマ先生の文章術が読みたい方は、オダジマ先生の本を買ってぜひとも読んでください。好き嫌いはあるだろうけど、文章を読む人にとって絶対に得るものがあると思う。

 

場末の文体論

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小田嶋隆のコラム道

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地雷を踏む勇気 ?人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

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それでは最後に、文章を書くすべてのみなさんへ一言。

よい旅を。